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 午後、文化祭の一般公開が始まった。俺は賑わいと風を避け、グラウンドに面した校舎の壁にもたれて座っている。避けている理由は、写真撮影用に再び演劇の黒猫の格好で外へ出て来ていて、目立つと恥ずかしいから。
 ここから見える昇降口前が、一昨日写真撮影を約束したメンバーとの待ち合わせ場所。まだ誰も来ておらず、俺はフードパック入りのお好み焼きを食べながら一人で待機中。
 やがて、昇降口から龍彦が出て来た。彼も同じく演劇の衣装。きょろきょろと辺りを見回して俺を見つけ、こちらへ駆け寄った。
「いたいた。お、約束通り天瀬から貰えたか豚玉! うまそうだな、一口くれよ」
 懐っこく隣りに屈まれたが、俺はそっぽを向く。
「えー何だよ、まだ劇のこと怒ってんのか?」
 演劇の発表と後片付けが済んだ後、龍彦はバレーボール部の仲間と、俺は他のクラスメイトと、今日は別々で行動していた。それ自体は元から予定していた事なので劇の件とは無関係だけれど、俺は舞台を降りてから龍彦を避けたきり、今まで口をきいていない。
「なあ、機嫌直してくれって」
 俺は不服そうな龍彦に、その不機嫌をぶつけた。
「俺はな、お前をフォローするために必死であの強気の演技をやったんだぞ。なのに仕返しはないだろ」
「ああキタローから説明されたよ、だからそこんとこは悪かったって!」
「よりによって俺の秘密に関わる事を、全校生徒の前で、あんな大声で言うなんて」
 謝っても、それについてはこの期に及んでしらばっくれる龍彦。
「さあ、何の事だかな。俺は物語の猫への文句しか言ってないぞ? ちょっと熱が入ってアドリブが多くなっちまったけど、シリアスな後半にコミカル要素が増えて前半とのバランスが良くなったって皆、褒めてくれたし」
 冷めた目で見て返す。
「……お前、悪かったなんてこれっぽっちも思ってないだろ」
「いやー夏大で惜敗してから、何でも勝たないと気が済まなくなっててよ。コートの上だろうと舞台の上だろうと」
「その負けん気はバレー部でだけ活かしてくれ。存分に」
 むすりとして残りのお好み焼きを一度に頬張る。成り上がった三男のスパンコール衣装が屋外では一層煌いて目にうるさく、より腹立たしさが増す。
 そんな俺をじっと見て、龍彦はぼそりと言う。
「正直なところ、お前だって本気で楽しんでたろ。あの性悪演技」
 むせ返りそうになったが、せっかく天瀬から貰った労いの豚玉。吐き出すまいと口を押えてどうにか飲み込む。首を横に振って否定したものの、逆にその慌て方が、言われた事の証明になってしまった。
「図星だな、伝わるんだぞそういうのは。ま、おあいこだな」
 結果的に負けっぱなしの俺は、ついうっかり声が大きくなった。
「昨日俺を無鉄砲だとか咎めておいて、お前こそ不用意だろ! 見つかったらどうするんだって猫の俺にあれだけ――」
「――見いつけた! 猫の孝史郎君!」
 不意に横から天瀬に肩を叩かれ、口からお好み焼きどころか心臓が飛び出る思いだった。
 一緒に来た梶居は今日もヘンゼルの衣装。一方、天瀬は昨日の魔女ではなく、ヘンゼルの妹であるグレーテルに扮していた。ヘンゼルと同じく洒落たつぎはぎ生地で仕立てられたワンピースだ。髪と腰に蝶結びされた布の帯だけ赤系で、愛らしいアクセントになっている。
「あ……と、今の――」
 俺は先ほど口走った内容を思い返して狼狽しかけたが、梶居はそれに気づかず言った。
「えー見つからないように二人して、ここでこそこそしてたの? 勿体無いよ、その恰好で堂々と歩き回れば文化祭の人気者間違いなしなのにぃ。せっかく劇の評判良かったんだしさ」
 どうやら俺が本物の猫でもあるという秘密がバレたわけではなく、安堵する。
「……うん、それは勘弁」
 すると天瀬がからりと笑った。
「じゃあ私が独り占めしちゃお!」
「えっ……」
 そんな宣言と共に、天瀬が俺の猫耳を両手で撫でてきたものだから、今度こそ狼狽してしまった。
「あ、違ったカジーちゃんと二人占めかな? 龍彦君もだから、三人占め?」
 どうも長靴を履いた猫の格好でいる時、天瀬は普段よりも俺との距離を詰めてくる。本物の猫扱いをされている気すらして、本当にバレてはいないのだろうかと勘繰ってしまう。
 何にしろこのままでは人間の方の耳が真っ赤になってしまうので、俺は話題を天瀬の衣装に移した。
「えと、天瀬は、昨日の魔女じゃないんだな」
「うん! 記念撮影しに行くならカジーちゃんのヘンゼルとお揃いの方がいいからって、部のグレーテルの子が衣装交換してくれたんだ」
 天瀬は俺から少し離れ、くるりと回って見せてくれた。やはりいつもの制服と違う姿というのは新鮮でつい見惚れていたら、梶居がにやりとして俺の肩に手を置いた。
「それに魔女だと、長靴を履いた猫に騙されて食べられちゃうかも知れないからねえ?」
 無論、それは童話の中での話。なのだけれど梶居の含み笑いのせいで、俺は過剰に天瀬を意識してしまった。赤くならずに済んでいた耳にも顔にも、一度に血流が寄せる。
「だっ、騙して食べるとかそんな……」
 龍彦が横から制する。
「こら梶居、アドリブがきかない孝史郎をからかってやるなって」
「あんたは無茶なアドリブ多過ぎ! それで舞台が盛り上がったって言っても、裏じゃ皆ハラハラしてたんだからね!」
 梶居が言い返すと、天瀬もそちらを向いた。
「龍彦君の演技、台本通りじゃなかったんだ? 全然そうは見えなかったけど」
 龍彦が彼女の気を逸らしてくれたお陰で、俺は一時的に救われた。今の内に動悸を鎮めなければと密かに息を吐く。やっぱり俺は、龍彦には勝てないのだろうか……という嘆息も交えて。
 そうこうしている間に、写真撮影をお願いしていた先生がやって来た。
「ああ居た、おーいこっち来て並んで」
 呼ばれたグラウンドの陽だまりへ行き、四人で横に並ぼうとする。
「ちょい待った」
 適当に龍彦の隣へ位置取りかけたら、彼に止められた。
「何だよ」
「俺とお前で、ヘンゼルとグレーテルを挟もうぜ。こうしてこう――」
 言いながら龍彦は俺を反対の端へ押しやり、代わりに梶居の腕を引っ張って自分に寄せた。
「きゃっ……」
 梶居が思いがけず可愛らしい声を上げた。それが恥ずかしかったのか、彼女は赤面して龍彦に抗議する。
「ちょっと、急にびっくりするじゃん!」
「童話別で分かれて並ぶより、この方がコラボ感が出ていいだろ」
「そう説明すれば済むでしょ! このバカたつ!」
「バカとは何だバカとは! お前、劇の台詞全部暗記した俺に感心してたじゃねえか! バカに出来る事かよ!」
「記憶力があったってデリカシーがなかったら台無しっ!」
 梶居と龍彦がぎゃあぎゃあ言い合う様を見ていたら、天瀬が俺の袖をちょいちょいと摘んで聞いてきた。
「龍彦君が言う形に並ぶなら、私は、こっち側だよね?」
「ああ、そうなるな」
 こうやって俺と天瀬が隣り同士になるように、また龍彦は気を利かせたのだろう。仕方ない、これに免じて舞台上での事は水に流してやるか。
「劇終わったのに、また着替えさせちゃってごめんね。でも一緒に記念撮影出来て嬉しい! ありがとね」
 彼女が俺に見せた笑顔は、何を疑う事もなくお菓子の家へ入り込むグレーテルそのもの。
 ……騙して食べるとかそんな事はしない。断じて、しない――。いま長靴を履いた猫が食べるべきは、自分の中から思い掛けず顔を覗かせた悪い魔女だ。
 撮影に臨む俺達を見かけて、周囲の生徒達も先生に頼みに来る。
「センセ、次こっち撮ってー」
「俺等の方も!」
「はいはい後がつっかえてきた、揉めてないでぱぱっと並んじゃって!」
 急かされた俺達は、とにかく龍彦が提案した通りに並んだ。
「もう少し詰めてー、オッケーいい感じ。はい撮るよー」
 こうして四人で顔を寄せ合い撮った写真は、この後、長く俺の部屋の机に飾られる事となる。
「さ、制服に戻るか」
 撮影が済み、ほっとして言うと天瀬に残念がられた。
「もう着替えちゃうの?」
 梶居にも止められる。
「せっかくなんだし、今日はもう最後まで猫でいいんじゃない?」
「でも、落ち着かないしな……」
 前に龍彦に話したが、やはり俺は、人間のまま部分的に猫耳だのしっぽだのを晒すような、半端な事はしたくないのだ。例え偽の装いでも。
 しかしながら、この格好には一定の需要があるらしい。特にこうしたイベントにおいては――。
「あ、長靴を履いた猫! やっぱりいつもの風紀委員の子がやってたんだ」
「撮影サービス? 一緒に撮らせてもらえないかな?」
「孝史郎ー、こっちの撮影にも混ざってくれよ。ついでに賑やかしも」
「ねえねえ高峰君、うちのクラスのカフェに遊びに来てよ。招き猫、みたいな!」
 早々に引っ込みたいのに方々からお呼びが掛かって困惑する俺に、梶居は笑む。
「ほらほら言った通りでしょ、大人気」
 違うクラスどころか学年も異なる知らない生徒からさえ、当たり前に氏名で呼ばれる。朝の挨拶運動でよく校門前に立っている俺は、自分が思うよりも校内で顔と名を知られている事に、今更ながら気おじする。
「あのう、高峰、さん……? 高峰、孝史郎さんですか?」
 俺の名がはつらつと飛び交う中、控え目なその呼び声は却って俺の気を引いた。
 顧みた声の主は、見慣れない紺のセーラー服を着た女子生徒。文化祭を観に訪れている中学生だった。



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