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 さて、この劇における『長靴を履いた猫』。王様一行を欺き、誘導先の城に住む魔女を騙して喰い、乗っ取ったその城で持て成された王様と姫が三男を大層気に入って、彼は姫と結婚するに至る――。という筋書きは粗方原作の通りなのだが、しかしここでめでたしめでたし、とはならない。
 どうにかこうにかそこまで進み、劇はオリジナル展開となる後半に入った。キタローが主役の負担を減らすために出番を減らしたと言っていた通り、俺はここからラストシーンまで出番がない。
 よろよろと舞台裏に引っ込むとキタローが駆け寄り、俺の背を力強く叩いた。
「よくやってくれた孝史郎! 思ってた以上に龍彦やばかったな」
 最後の展開で再び黒い猫に戻っていた俺は、黒猫耳のカチュ−シャを外して役者モードをオフにする。
「キタローのナレーションに助けられたよ、俺だけじゃどうにもならなかった」
 皆、裏方の仕事に追われて忙しく動いている。そこから梶居が抜けて来て、水のペットボトルを俺にくれた。
「すごいじゃん、今までで一番良かったよ。普段おとなしい孝史郎君が演じてるなんて全然思えないあの憎ったらしさ! でも憎めない猫っぽさはちゃんと保っててさ」
 キタローもそれに頷く。
「お前にはああいう思い切った表現を求めてたんだよ。他の奴等も影響されて良い演技できてるし、観客の反応も上々だ」
 龍彦を挑発しろというキタローの指示には、練習で何度指摘されてもどうにも出来なかった俺の表現力不足を解消させる狙いもあったのだと知る。
「そ、そうか……変じゃないかって心配してたけど、とりあえず安心した」
 舞台に出ずっぱりでからからになっていた口に、受け取った水を含む。
「残りもその調子で頼む。龍彦の方も、見る限りもう大丈夫そうだしな」
 それに関して、しかし梶居は懸念を口にした。
「うーん、確かにたっつん、緊張はなくなったみたいだけど……なんか、今度は熱くなり過ぎてない?」
 いま俺達が居る位置から舞台は見えないが、上演中の役者の声は聞こえる。取り分け大きい龍彦の声は、言われてみればやけっぱちなものに感じられた。
『――ああ猫よっ! 一体何処へ行ってしまったんだああアーーーっ!』
 表からの叫びに、裏で溜め息を吐く。
「……割と本気で俺にむかついてるんだと思う。でもってこれ以降は、俺を捜さないといけない不本意なシーンが続くからな……」
 進行している物語の上で、猫はただいま行方不明中。三男は姫との結婚パーティーの夜に猫が残していった長靴を抱え、これから国中の猫をあたるのだ。そう、あたかもシンデレラを捜し求める王子のように――。
 
 
 三男は国に住まう猫の一匹一匹に、長靴を履かせて回った。しかし皆喋り出しはするものの、あの辛辣な口を利く者は見つからない。そうして最後に訪ねた上品な白猫に、彼は肩を落として嘆いた。
「……ああ、もうあいつは、この国には居ないのか?」
 白猫役の女子がなだめる。
「まだ諦めるのは早いですよ。私に、あと一匹だけ心当たりがございます」
 そこまでは、きちんと台本に沿っていた。だが次に三男龍彦の口から飛び出した台詞は、何処にも載っていないものだった。
「ああでも……もう見つからないなら、それはそれでいい気がしてきた」
「は?」
 白猫役だけでなく、流れを把握して見守っているクラスメイト全員がぽかんとなる。
 顔を上げた龍彦は態度を一変させ、盛大に愚痴を垂れ始めた。
「そうだよ、よく考えてみりゃあーんな酷い扱いされたのに、何だってこんな必死になってあいつを捜さなきゃならないんだって話で――」
 白猫役は慌てて彼の両肩を掴み、自分の台詞で話の軌道を修正した。
「王様の城に! 最近逃げ出して連れ戻されたネズミ捕り係がいると聞きました! 会いに行ってください今すぐにっ……!」
 後に判明するが、龍彦の『目論見』はここから始まっていた。彼はこのシーンの直前、白猫役にだけ少し台詞を増やすと告げ、それにあたり密かに打ち合わせていたのだ。
 これ以降、三男役の龍彦は最後まで舞台から降りて来ない。そして白猫役も彼から口止めされていたため、俺は事実を知れないまま、ラストシーンに挑む事となる。
 
 
 白猫から情報を得て王様の城へやって来た三男は、ネズミ捕り係の猫に会うべく地下倉庫へと押し入る。
 食料貯蔵庫の設定で、舞台上には木製や紙製の箱が山積みにされている。それらに囲まれて座り込んでいる黒猫の俺を三男の龍彦が見つけるところから、その『復讐劇』は始まった。
「おお、城のネズミ取り係というのはこの猫か。黒く汚れた様は出会った時のあの猫にそっくりだ」
 投げ出している俺の足に、三男の手で白い長靴が履かされる。それにより再び人の心と言葉と知恵を取り戻した猫の俺は、彼の迎えを冷たくあしらった。
「……上での王様とのやり取り、この猫の耳には全て聴こえておりました。ご主人様はつくづく愚かにございますね。姫を放置して私を捜し回り、王様を怒らせてまでここへ来るなぞ馬鹿の極み」
「ああ、やっとその物言いが聞けた。私が捜していた猫はお前に間違いない。――そして、私が愚かだというのも間違いないな」
 付け加えられたアドリブの台詞に引っ掛かりを覚えたが、俺は筋通りの台詞で応じた。
「私をここから連れ出せば、ご主人様は手に入れた一切を失ってしまいます。姫と王様に嫌われれば、もうこの国にはいられないのですから。今ならまだ間に合います、どうか私を置いて、お戻りを」
 自身の自由をすっかり諦めて主人の幸せを願う健気な猫に対し、以後は三男が猫を熱く説得し、城から連れ出す流れ。
 ……となるはずが、しかし龍彦は急に冷めた顔となり、予想だにしない事を言い始めた。
「だよなあ! せっかくこうして成り上がれたんだ。パーティーの準備中にかまどの灰をかぶって、手伝いに来ていた城の下働きに正体がバレて連れ戻されるような間抜けな猫一匹と引き換えに、地位も何もかも失くしちまうなんてアホらしい」
「は……?」
 鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔となる俺に、龍彦は背を向ける。
「いやー、それでも見捨てちゃ悪いと思って来たんだが、お前の方からそう言ってもらえて良かった。帰るわ、じゃあな」
「いっ……いやいやいやさすがに待っ――!」
 本当にすたすたと去り始めた龍彦に、俺は慌てふためく。台本を丸っ切り無視したこんな展開で舞台に一人取り残されてはどうしようもなくなるので、反射的に彼を追い掛けてしがみつくという、先の猫の台詞とは相反する行動を取ってしまった。
 龍彦が振り返り、俺に一瞥くれる。俺はすがる目でそれを受け止めるしかなかった。
 俺が狙い通りの反応をした事に、満足したのだろう。彼はにかりと歯を見せた。
「……なーんてな。やっぱり俺と行きたいんじゃないか」
「へ?」
 俺は二度目の鳩豆状態となって立ち尽くし、続く龍彦の台詞を聞いた。
「一切を失うといったって、それらはそもそも、お前がいなければ手に入らなかった空しいものばかりだ。得るまでに、泉に突き落とされたり、慣れない嘘を吹かされたり、ごまかす役を強いられたり――」
 ここはちゃんと台本通りの内容だった。話の軌道が元に戻った……と安堵しかけるも、龍彦の目論見による一連の台本逸脱は、まだ終わっちゃいなかった。
 びしりと俺を指差し、語気を強めてぐいぐい詰め寄りながらアドリブの台詞を継ぐ。
「――唐突に服を寄越されたり、やめた方がいいって言っても聞かなかったり、挙句連れ去られて捜すはめになったり! あー全く、お前って奴は!」
「えっ……ちょっ、何で今ここでそんな、たつひ――ご、ご主人様?」
 それは架空の猫へではなく、リアルにダイレクトなコクミツと孝史郎への文句。龍彦は小賢しくも物語内の出来事と上手く絡めた言い回しを選び、舞台を壊さずに俺だけを動揺させる事に成功していた。
 すっかり気圧されて後ずさる俺に、彼はしたり顔で今度こそ台本通りの台詞を用い、畳み掛けてきた。
「私が本当に得た幸せは、お前とのそうした興に溢れた時間の方なのだ! それにお前だって、ここでこき使われて煤だらけのまま一生を終えるのが嫌で、一度は逃げて来たんだろう? だったら私と共に、この国を出ようじゃないか。なあに、私とお前なら何処でだって生きていけるさ!」
 ……やられた。これは舞台前半の俺の仕打ちに対する、龍彦の仕返しだ。完遂されてようやくそう解し、今度は俺の方が、苦い虫だか豆だかを噛み潰したような顔にさせられたのだった。
「……全く理解できません。唯一理解できるのは、貴方様はやはり愚か過ぎて、私がついていなければいけないという事だけですねエ!」
「そういう事だ、さあ行こう! 我が愛しきニャンデレラよ!」
「おかしな名をつけないでください! ご主人様あああッ!」
 甚だ不本意ながら、実に活き活きとして両手を広げた龍彦の胸へ飛び込む。抱き合うと愛や友情とは表裏の念で互いの身の骨が軋んだが、見かけ上、感動シーンの演技として何ら問題なかった。
 幕が下り、ナレーションが締め括る。
 
 ――こうして旅立って行った一人と一匹。
 彼等なら新天地でも、また一から地位も名誉も財産も幸せも築ける事でしょう。
 そのお話には続きませんが、結末は多分、おそらく、めでたしめでたし――。
 
 練習で再三演じて尚、思う。……何だこの話。



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