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 アメリアの向かった先はわかる。
 堤字に出ると、開けて見通しの良い田園地帯の中、遠目に田んぼを横切り駆けていくアメリアの姿が捉えられた。やっぱり、子猫の居たあの場所を真っ直ぐに目指している。
 目的のあぜの下に着くとアメリアは子猫達が居なくなっている事に愕然とし、取り乱してその田んぼをぐるぐると駆け回った。
「――どこ!? 私の子ども達はどこ行ったの!?」
 再び元の場所で立ち止まり、ぶるぶると興奮して毛を逆立てる。ようやく追いついた俺は、少しだけ距離を置いたところから声をかけた。
「ここに居た子猫達は、今は別の場所にいるよ。二匹とも元気にしている」
 それに反応して、アメリアの耳がぴくんと動く。俺に気づいて彼女はこっちを振り向いた。水色の瞳が強く光る。
「あなた、誰!? 私の子を知ってるの……!?」
「俺の名はコクミツ、この町のボス猫だ。お前の子等を勝手に移動させた事はすまなかった、母猫のいないところにあのまま放ってはおけなかったんでな。安全な場所に預けてあるから、安心するといい」
 アメリアは途端に目を丸くした。
「ボス猫……。じゃあ、あなたが保護してくれたって事?」
「そういう事だ」
 すると今度は、歓喜から膨らんだ身がふるふると打ち震える。
「……そうだったの……! ありがとう!」
「今からそこへ案内する。ついて来てくれるか」
「もちろんよ、すぐ行きましょ!」
 言うが早いか、興奮状態のアメリアは場所も聞かないまま、まるきり逆方向へと駆け出した。
「おい、子猫がいるのはそっちじゃ――」
 俺は焦って追いかける。アメリアは勢いをつけて急峻なあぜを駆け上っていくが、途中で茂る雑草に足を絡めとられ、バランスを崩した。小さく悲鳴を上げて転げ落ちてくる彼女を受け止めようと、とっさに落下地点へ滑り込んだはいいものの――。
 今の俺は猫だったんで、受け止められるような両手はなかった。
 やむを得ず、背で受け止めてクッションになる。……と言えば格好がいいが、単に下敷きになっただけとも言えた。
「……ああ、びっくりした……」
 身体を起こしたアメリアは、自分の下で土に埋もれるようにへしゃげている俺を目にし、慌てて降りた。
「ごっ、ごめんなさい! 大丈夫!?」
 ああ……、とあまり大丈夫でもない返事をして、のそりと起き上がる。
 土にまみれたみっともない顔。その頬を、アメリアが不意に舐めてきた。驚いて、思わず膨らむ尻尾。
「子ども達ばかりじゃなく、私の事も助けてくれてありがとう」
 目を細めて、彼女はそのように礼を言ってくれた。
 ……人間だったら、赤面しているところだろうか。
 ともかく無事に目的の母猫アメリアを探し当てる事のできた俺は、彼女を連れて、同字内にある子猫の預け先へと向かった。


   ***


 納屋の中で、アメリアは自分の子猫達をしきりに舐めた。
「無事でよかった、本当に……!」
 俺とヨツバも安堵して、顔を見合わせる。
 気持ちを落ち着けて顔を上げたアメリアに、話しかける。
「それで、これから子猫達はどうやって育てる?」
「このまま帰らずに、ここで育て続けるわけにもいかないし……。一度、家に連れて帰ってみようと思うの。家の人達に、受け入れてもらえるといいんだけど」
「そうか。ならこの納屋と貝塚字の家を何度も往復するのは大変だろうから、一匹は俺が連れて行こう」
 そう申し出ると、アメリアはきらきらと目を輝かせた。
「ありがとう! やっぱり優しいのね」
 無邪気にすり寄せられる頭。俺の耳とヒゲに、ピンと力が入る。
 アメリアはすぐにヨツバに向き直った。
「ヨツバさん、今までこの子達の面倒をみてくれてどうもありがとう。それと、ユキチ君はあなたの大事な人だったのね。私ったら知らなくて……ごめんなさい」
「いいのよ、悪いのは全部ユキチなんだから」
 穏やかに返事しつつ、あいつは後でとっちめておくわ、と前足の爪をチャキリと出す。
 ……猫パンチ四、五発程度で済んでくれればいいんだが。
 などと考える俺の横で、アメリアの顔がぱっと喜色に満ちる。
「それにしても、ユキチ君の他に素敵な猫に出会えてよかったわ!」
「……他に?」
 振り向いた俺の顔を、アメリアがまた出し抜けにぺろりと舐めた。今度は頭だけでなく、大胆にも身体ごとぴったりと俺に寄って。
 表では平静を装いながらも、後ろでは緊張と動揺から尻尾の毛が、完全に逆立ってしまっていた。
「まあ、アメリアちゃんはコクミツさんの事が好きになったのね。いいじゃないの、コクミツさんもずっと独り身だし。若いお嫁さんもらったら?」
 なんて事をさらり言い、ヨツバは内心うろたえる俺を、しっかり楽しんでいた……。


   ***


 二日後の週明け。
 昇降口の掲示板前に立ち、ポスターの張り替えをしていた俺の背に声がかかる。
「考史郎君」
 振り返ると、そこに教科書とノートを胸に抱える彼女がいた。
「天瀬」
 白襟の黒いセーラー服。いつもの姿に、密かにほっとする。
 校内ではこうして会う機会も多いので、さほど驚く事なく普通に会話できる。あの時は全く心構えをしていないところに来合わせたので、気が動転してしまったが。
 天瀬は俺が今から貼ろうと手にしている手書きのポスターをのぞき込んだ。
「それ、風紀委員会の?」
「ああ。月が替わったんで、新しく作ったのに張り替えてるんだ」
「ふうん。朝の挨拶運動といい、まめに活動してるんだね」
「ん、まあな」
「ご苦労様」
 話しかけられついでに良い機会と、作業しながら例の話を振ってみる。
「……ところで、心配していた飼い猫はその後元気にしてるか」
 そうそう、と天瀬は乗ってきてくれた。
「それがあの後ね、外から子猫を二匹も連れ帰ってきてびっくりしたんだ。全然気づいてなかったけど、お腹に赤ちゃんがいたのね。具合が悪そうに思えたのも、赤ちゃん産んだ事で急に痩せて見えたせいだったのかなって」
 猫や犬は、腹にいる子の数が少なかったりすると飼い主に妊娠を気づかれない事もままあるという。アメリアもそうだったんだな。
「それで、その子猫も飼うのか?」
「うん。思いがけない事で家族みんなして慌てたけど、アメリアが大事に育ててるし、とっても可愛いし……。それに動物を飼いたくて一軒家に住み始めたくらいだから、少し増えても問題ないよ」
「……そっか」
 その言葉に、俺は安堵の笑みをこぼした。


 下校時。俺は龍彦と並んで土が香る堤字ののどかな道を、五月晴れの心地よい陽光を味わうように、自転車を押してのんびりと歩く。
「しかし水くせえな考史郎。好きな奴ができたならそう話してくれりゃいいのによ。これでも心配してたんだぜ」
「心配? 何をだ」
「何ってお前、小一ん時に俺と知り合ってから今まで、浮いた話なんかひとつもなかったろ。真面目と純情はお前のいいとこだが、にしてもほどがあると思ってな。いやーでも良かった良かった、応援してっからがんばれよ!」
 と、龍彦は何か知らんが嬉しそうに俺の背中をばしばしと叩いた。
 照れくさくて頭をかきながら歩き続けていると、ふと、植えられて間もない夏野菜の苗がうねに並ぶその畑を挟んだあぜに、一匹の茶トラ猫を見かけた。ユキチだ。駆けて行く方向から、ヨツバの元を訪れるつもりなのだろうと思う。頬に刻まれた引っ掻き傷も、愛の印と思えば、微笑ましかった。


 ――『人』と『猫』の、二つの社会がある。
 尊重し合い、お互いにいくつもの約束事を持って、着かず離れず、共存している。
 葦沢町は、そんな町。
 この町で、俺『考史郎』と『コクミツ』は、実は元々別個の存在としてそれぞれに育ち、生きていたのだが。
 その辺の話は、また今度。


 こねこどこのこ?/終



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