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 日が暮れてから、俺は目的の場所に考史郎としてやって来た。龍彦も一緒にいる。
 ユキチの話によると、母親らしきアメリアという猫はユキチと同じ島中字に住んでいるとの事だった。
 商店街があるのは駅の表側で、駅裏は小波字に続く、一軒家と集合住宅の混在する住宅街。その中に以前どこかの会社の社宅が建っていたらしい跡地があって、その一区域にはごく最近、不動産屋によって八軒の家が建築されていた。駅に近いそこは分譲が始まってすぐに完売したという。ユキチが教えてくれた家は、そのうちの一軒だった。
 白い壁にオレンジ色の屋根のその新築の前に、俺達はたたずむ。
「ここで合ってんのか?」
「ユキチの話に間違いなければな」
 昼間にユキチ達と別れた後、俺はその足でコクミツのままここを訪れたのだが、その時は留守だったようでどの窓もカーテンや雨戸に閉ざされ、中の様子は全くうかがえなかった。
 仕方ないので一旦引き上げ、誰かが帰ってきそうな頃合いをみて再びこうして訪れたわけだ。
 今は一階にあるガラス戸の黄色いカーテンを透かして奥に灯る照明が見え、人が居るように思える。
「んで、どうやってその猫を表に呼び出すつもりなんだ? 考史郎」
「問題は、そこなんだよなあ……」
「考えてねーのかよっ!」
 この家に辿り着いた猫がらみの経緯を説明できない以上、正面から訪問して「あなたの家の猫が外で子ども産みましたよ」とストレートに伝えるわけにもいかない。ここへ来るまでの間に、不審に思われず猫を外に放してもらえるうまい手はないものかとあれこれ思案してみたが、結局何も思いつけずじまい。
 そう行き詰まっていた時だった。
「あれ? もしかして考史郎君……?」
 横から名前を呼ばれた。振り向いた先に立つ彼女を認めた刹那、跳ね上がる俺の心臓。
「あ……あませ……?」
 街路灯の白い明かりの下で、背にさらさらと下ろされた髪と黒目がちな瞳が際立つ。オフホワイトで揃えたカーディガンとロングスカートを着て、手にはトートバッグを下げていた。
 その、いつものセーラー服とは違う装いも驚きと動揺に輪をかけるものとなる。
 彼女は、俺と龍彦と同じく今年葦沢高校に入学した天瀬小夜子(あませ・さよこ)。クラスは違うが、縁あって俺と彼女とは、入学前に知り合っている。
「どうしたの? こんなところで」
「え、いや……その……」
 もろ不意打ちをくらい固まってしまった俺に、天瀬は小首を傾けた。
 ……今が宵の口で良かったと心底思う。でなければ急速に赤らんでいく顔を、ごまかせなかったところだ。
 だが隣にいる龍彦は、俺の態度からピンときてしまったらしい。
 俺の肩をぽんと叩き、さり気に助け舟を出す。
「こいつがこの辺で財布落としたらしくてよ、今捜してるとこなんだ」
「えっ、そうなの? 大変ね、じゃあ私も今から一緒に捜して……」
「あ! いやもういいんだ、中身大して入れてなかったし、あきらめて、帰るところだったから……」
 ようやく口がまともに開けた。でまかせを吹いて首と両手をぶんぶんと横に振る。
「……そう?」
 切に心配してくれている眼差し。『あの時』の事が思い出されて、耳の方にまで熱が流れた。
 慌てて別の話を振る。
「それより、天瀬はなんでここに」
「私? 私は家に帰ってきただけだよ。ここが私の家だから」
 そう言って細い指が差したのは、例のオレンジ屋根の家。
「……へ? ここ?」
 俺達は揃って間の抜けた顔でそちらを向く。その玄関口は暗かったが、よくよく見ると扉の上に『天瀬』と書かれた表札が、確かにかけられていた。
「入学前の冬に、この町へ越してきたばかりなんだ。考史郎君はどこに住んでるの?」
「……俺は、生まれも育ちも葦沢町だ。こいつも……龍彦って言うんだけど」
 と、龍彦を指して軽く紹介を交える。
「そう、同じ町内だったんだね。じゃあ今度この町の事、いろいろ教えてもらおうかな」
「えっ……ああ、俺でいいなら」
「ありがと」
 ふわりほころぶ顔に、つい見入ってしまう。
「……じゃあ私、そろそろ家に入るから」
「……ああ、引き止めてすまなかった……」
 彼女は小さく手を振り、玄関へ向かっていく。
 半分魂が抜けている俺を、龍彦が肘で小突いた。
「……おい、肝心の猫の事は聞かなくていいのかよ?」
「――あ」
 不覚にもすっかり頭から飛んでしまっていた。しかし別れの挨拶をしてしまったので俺はもうそれ以上彼女に話しかける事ができず、回らない頭のまま、なすすべなく玄関扉を開ける彼女の背を、見続けていた……のだが。
 開けられた扉の隙間から彼女の足元をかすめ、唐突に何かが表へと飛び出した。
「あっ……アメリア!?」
「えっあれが!?」
 その猫の白い影は、一目散に駆けてあっという間に角に消えた。
 俺はうっかり「あれが」とその猫を知るような言葉を口走ってしまいハッと口をつぐんだが、幸い、それは天瀬の耳には届いていなかった。
 彼女はアメリアの曲がって行った角を見ながら、ぽつり話してくれた。
「あの子、うちの猫で……具合が悪そうだったから昨日から部屋でおとなしくさせてたんだけど、大丈夫かな」
 それで、昨日から家を出られずにいたという事か。子猫達の元に戻れなかったわけだ。
 とにかく、追わなければ。
「……じゃ、俺等もそろそろ帰るから……また」
 天瀬に軽く片手を上げ、龍彦の腕を強引に引いてすぐさま、俺はその場を離れた。


 アメリアが走り去ったと思われる道を辿って駆けながら、俺は振り向かないまま背で言った。
「龍彦すまん、俺の服頼む」
「えっ……っておい、こうしろ――」
 何があるかわからない、と龍彦について来てもらっていて本当に良かった。
 龍彦の目には、俺が突然消えて、着ていた『服』だけがくしゃりと道にへたったように見えた事と思う。
 その服の襟から、小さくなった黒い身体をしならせ、飛び出す。
 考史郎の服と龍彦を置いて、俺はアメリアを追いかけていった。



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