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 更に時は過ぎ、アイオルとカーネリアが出会ってからその頃までに、天の北極はひしゃくの柄から王の右肩へと移っていました。
 古の祭は、様式こそ土地により差が見られますが、どこにおいても、北側では春、南側では秋の、太陽が真東から登る節目の日を中心に、毎年行われ続けていました。焚かれる火はいつしか電灯に置き換わり、人々は煌びやかに飾り立てた街で、夜すがら賑やかに歌い踊ります。本来は火であった明かりの意味合いも、文明と繁栄を誇示するものに転じていました。
 この時代の辺りから主に南側の地で、祭の頃と重なって現れる流星群に対し『凶兆』の説が囁かれるようになります。その流星群の放射点にあるのは、例の赤と青の星。
 天文学の上で、流星群というものが飛来した彗星か小惑星の跡である事はとうに分かっているものの、該当の流星群の起源となった天体についてはずっと不明なままです。そして誰かが言い出したのです。
 その天体は、滅びの時の歌にある『渡り星』と同一のものではないかと。
 もはや太古となった時代から人々の胸の奥にあり続けた不安が、ここへ来てにわかに膨らみ始めます。様々なものに『周期』がある事も感覚的に思い出し、もしもその星が還って来たらこの世は再び滅ぶかもしれない、という考えが、病のごとく蔓延していきました。
 
 人々は『渡り星』の正体を突き止めようとし、また万一に備えるべくこれまで以上に、特に科学技術を発達させる事に躍起になりました。
 関連を疑われる天体については、有史以降の観測記録はありません。何らかの理由で軌道が変わり回帰しなくなったか、既に消滅した可能性が高いとされても、無いと証明されない限り、一度はびこった不安が解消されるには至りません。
 人々は滅びと結びついた天体を歌にある通り『渡り星』と呼び、言い知れない畏怖を持ちました。
 
 祭の明かりは、年を追うごとに強い光が用いられていきました。凶兆の流れ星を見ると不幸が訪れる、という迷信が生まれたのもあり、暗い空から訪れる一切の不安を、ありったけの文明の灯で払おうとしての事です。そうして祭の儀は『星遣らい』と呼ばれるようになり、地球が渡り星の跡をくぐり抜けるまでの期間、誰もが昼よりも明るくした街で自分達の目を眩ませ、陽が高くなるまで怯えを押し隠して騒ぎ続けるのでした。
 
 カーネリアの名が人の口に上り、アイオルの旅が脅かされるようになったのは、数百年前の絵が発見された事によります。当時アイオルでさえ驚いたほど本物に忠実な、カーネリアの肖像。細く長く歌い継がれてきたアイオルの恋歌を知る者なら、すぐにそれが元と直感できる絵でした。古びても色褪せない顔料の美しさがとても神秘的で、歌と合わせてたちまち有名になりました。同時に竪琴を奏でて歌う姿に想像を掻き立てられ、彼女こそが歌で人に明かりをもたらした伝承の者ではないかとする説も、広まっていきます。
 問題は、時を置いて発見されたもう一枚の絵にありました。カーネリアとアイオルが一緒に描かれた、あの絵です。
 今はいないカーネリアと違い、アイオルを実際に目にした事のある人は大勢いて、彼等は、アイオルとしか思えない者が描かれた時代と何ら変わらない姿で今に存在しているかもしれない事に、大変驚いたのです。
 その噂も瞬く間に広まり、真偽を知ろうとする人々に追われて怯えたアイオルは人目を避け、歌う口を閉ざして過ごす事を余儀なくされました。
 カーネリアの捉えられ方がまちまちだったのは、彼女が伝えたとされる数多の歌には希望も絶望も、ありのままあったからです。
 再興に導いた者として崇め敬う人。滅亡を告げた者として忌み嫌う人。
 そのため彼女と対、あるいは同一とみなされたアイオルは、見つかってしまう度に泣いてすがられたり、石を投げつけられたりしました。得体の知れないものへの不安からくる人々の焦燥は、治安悪化の症状として世に現れ出していました。
 
 アイオルにとって、人に歌う事は彼女との絆でした。ゆえにそれを絶った彼は呼吸を禁じられたほどの苦しみを覚え、壊れそうな心は、一向に壊れる気配のない身体に閉じ込められて喘ぎました。その状況での唯一の救いは、カーネリアが遺した『伝えた光が、行く末で希望になる』という言葉です。これまで言われた通りに光となる歌を伝えてきたアイオルは彼女を信じ、ますます文明が進んで小うるさい電光や電波が昼夜問わず飛び交うようになった街を、布で歌う口を塞ぐみたく顔を隠して、渡り続けました。



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