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   青を識す口碑 〜アイオル編〜
 
 
 アイオルはカーネリアの亡骸を、菫の咲き誇る丘に埋めました。以後、彼女の願いに応えて旅を引き継ぎ、竪琴の奏でにのせて歌を伝え続けました。人の集落は数を増し、各地に統治者が現れて国を興こし始めると、彼等は銘々に領土を広げていきました。
 人々は生まれては死ぬのを繰り返して、地球を再生させる細胞のように何度も入れ替わり、やがてカーネリアを直接知る者はいなくなりました。その存在は、歌で人に明かりをもたらした者があったという伝承となって、祭事と共に残るのみです。この時代の祭で焚かれる火の明かりは、先を照らす希望の象徴でした。
 
 人々の関心は地にあるものに留まらず、天へも寄せられていました。カーネリアが伝えた中には、かつての世が滅んだ様を描写した歌があり、その際に現れたとされる『渡り星』の存在が、時折、彼等の胸の奥を過ぎるのです。彼等は星々の動きを調べ、暦を作り、様々なものに『周期』がある事を学術的に知っていきます。
 
 カーネリアに置き去られた世界で、アイオルは数多の人と知り合いました。しかし彼を知る者もまた、先に寿命を迎えては順に彼を置いていきます。出会いと別れを繰り返す中、彼はそんな虚しさに灯る唯一の光として、カーネリアへの思いを募らせました。
 アイオルの知る歌は、カーネリアから教わったものに人々が新しく作ったものも加わって、随分と増えました。その無形の記録媒体を受け取る過程で、彼は本来機械が持ち得ない、複雑怪奇で非効率的な処理手順――『心』を、時をかけて無自覚に導入していきました。そしていつからか現れ出した異常である、胸部を圧迫されるような症状が、ある感情に起因する事に気づきます。それは『恋』と呼ばれるものでした。
 アイオルの心は、たくさんの歌に込められた感情で形成されています。ですがカーネリアへの想いだけは、既成のどの歌にも当てはまらないように感じて、でも表現せずにいられなかった彼は、生涯でただひとつだけ、自ら歌を作りました。
 彼女の名を題にしたそれを、アイオルはある夜、南方へ赴く船の上で歌いました。居合わせて聴いた者達は、時の果てで歌う彼女を空想し、恋しくても触れられない切なさに胸を軋ませます。
 赤い娘に心を寄せる、青い青年。聴いていた船乗りの一人が、その様を二つの星に例えました。黎明期に、結ぶと天極を指して人々のしるべになったとされる、赤と青の周極星です。見上げれば今なお、とても届きそうにないところで崇高に輝いていて、波と闇に揺れる船を導いているようでした。
 アイオルが人前でそれを歌ったのは、後にも先にもこの一度きりでした。届かない想いが募るばかりで、とても辛かったからです。
 
 それから、遥かな歳月が過ぎました。人々はいくつも大国を築いて益々文明を発展させ、未だ原理を解明できない去来品と、解き明かしたものから新たに生み出した発明品の両方を使いこなし、暮らしていました。
 ある日、アイオルは偶然目にした一枚の肖像画に息を呑みます。そこに描かれている、飴色の竪琴を携えた娘は間違いなくカーネリアだと思ったのです。作者である無名の画家を探し出し、いるはずのない彼女といつどこで会ったのかと半ば問い詰めるように尋ねると、若い画家はアイオルが一度歌ったきりしまい込んでいたあの歌を、口ずさみました。それは彼の知らない内に、人から人へと密やかに伝わっていたようです。画家は豊かな想像力を持っていて、歌から彼女を描き起こしたと語りました。カーネリアの灯していった火が時を経て育まれ、失われた彼女の姿を、ここに顕在させたのでした。
 画家はカーネリアと一緒にアイオルも描きたいと言い、絵の中でだけでも彼女といられるなら願ってもないと思ったアイオルは、むしろ自分から進んで描いてもらいました。画家は鉱物から作った赤と青の顔料を使い、手を取り合うふたりを美しく彩色しました。



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