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   【10】螺旋の木に綴る一節


 藪の中で、少女が草を摘んでいた。彼が訪れた事に気づくと何故か悲しげな顔をして、置いていた籠を胸に抱え、駆け出す。それを追うと張り巡らされた風の縄を引っ掛け、連なる頭上の葉が揺れて一斉に鳴った。余所者が来た、と。
 そこから下ったところの小さな村は、誰も居ないかと思うほどひっそりしていた。背の荷が、かたりと鳴る。
 放置された田畑は人目を憚るように雑草が覆い、家々は客を閉め出している。やっと戸口の開いた家を見つけると、そこの庇の下では、先ほどの少女が洗った草を敷物に並べて干していた。
 村人達はいま蔓延している病に対し、効果の定かでない薬草を呑むしか術を持たない。だからといって、彼の持って来た確かな薬を求める事はなかった。その薬は元々、病の噂を聞きつけた行商の薬師が村を救うべく、山と用意してきたもの。薬師は患者に悉く突っぱねられて帰る途中、丸薬が魂(たま)の数に思われて無駄にするには忍びないからと、持て余した情けを偶然会った彼に委ねたのだった。しかし誰が持って行こうが結果は同じ。薬に限らず、彼等が外来の人や品や思想を受け入れる事はない。
 少女は乾燥させた草を各戸に配り歩きながら、自分達の法を彼に説いた。一切は生まれ落ちた土地に根を張り、そこの風にのみ紡がれて在るべきなのだと。
 他と交わらずに純潔を貫く。それこそがここで貴ばれる精神。身に穢れを受けて尚――否、むしろそれにより彼等は益々頑なになっていた。外より持ち込まれた病を、更に外つ国の技をもって祓える等とどうして思えようか。誰もがそう言うのだ。
「風と歩む我等の心、時として風に抗う旅烏の貴方には分からないでしょう。――いいえ、鳥ではあっても烏のように黒いものではありませんね。貴方はまだ白い。その厚意を疑いはしません」
 旅の生き方すら全否定され、木箱の薬はいつまで経っても減る事なく重いまま。それを背負い続け、彼は村と民が滅んでいく様を、ただ見ている事しか出来なかった。


 息絶えた者達が、野に埋葬されていく。その只中には恐らく最も長くこの地を見守ってきたのであろう巨樹がひとつそびえていて、埋める者より埋まる者の数が多くなってからは、その根元に積み置かれる亡骸も増えた。立ち枯れの進む樹は茶けた葉を落とし続け、破けてぼろぼろになった傘のような枝葉の隙間からは、薄曇りの空が覗く。摘み草を諦めた少女はいよいよ痩せ細った手で、そこの下に穴を掘り始めた。指にも咳にも血が滲む。見かねて側へ寄った彼に、彼女はありがとうと優しく微笑んだ。翌日、彼は窪んだ土の上から動かなくなった彼女を抱き上げる事になる。
 風は渡るもの。風の恩恵を全とする彼等は、渡ればいずれ外から運ばれてくる災いの種により、滅びを余儀なくされる定めにあったのかもしれないと彼は感じた。この土地で、繰り返し。
 大気が湿り気を増す。侘しくなったそこにたったひとり取り残された彼は、彼女と野晒しの死者達を、孤高な樹ごと火で天に送った。
 清らかさなくしては生きられなかった人々。
 穢れなくしては生きられない世界。
 風さえも焼いて、双方を燻す煙は真っ直ぐに昇り、雲を突く。
 皆焼け落ちた後も、彼は積もる炭と灰と骨を前に立ち尽くしていた。風が戻るまで。

 ――気づいてください、また逢えたなら。

 なびいた外套が手の甲に触れ、隠しに覚えのない何かが入っている事に気づく。探って出てきたのは、親指の先ほどの大きさをした黄金色の種子。今は遠くなった少女の微笑みが、彼の躊躇いを拭う。
 何度でも似通った風景を巡り、しかし少しずつ通過点を違えていく螺旋の道。その軌跡の上に印としてまた同じ樹の種子を植えると、彼は降り出した雨の中、逢いに来るという約束に代えてそこに灰を被せた。



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