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   【11】FLOWER TAIL


 今日も天球の時計は滞りなく回り、鐘が一日の終わりを報じる。袖が擦るほど行き交っていた人もまばらになったが、寂しくはない。同じ独りなら賑わう中よりも侘しいところのほうが心地良いと、彼はいつも思っていた。
 街から外れた橙色の坂道に、細く長く影がしだれている。坂の上に居て落陽の逆光になるそれが見知った者に思え、はっとした彼は駆け登っていく。
 影の主は、暮れに在ってただひとつ青に染まる、小さな花だった。それは夕凪のように人の流れが止んだこの刹那、いつかの誰かが残した軌跡に咲いたもの。
 覚えず恋しさを露呈した自分に、彼は苦笑する。いくら強がってみたところでやはり平気ではいられない事も多いと、改めて思い知らされた。
 自分の足跡を顧みて、過ぎた日々を偲ぶ。そう追憶した事さえ夜の内に海の彼方へ吹かれていって、目覚める辺りには忘却しているかもしれない。確かなものは皆幻想に過ぎず、ほんの鼻先に居る、愛しい人との幸せな結末も毎回迎えられないまま、しかし翌朝にはまた新しい幕が上げられるのだ。刻々と、淡々と。
 それについて、彼が何かを述べる事はない。花のしだり尾の長々し世を、物言わず一人歩いて行くだけ。誘った花の影に自分のそれを被せ、彼は先へと足を進めた。
 暮れて明けて、その花が往来で誰にも気づかれず散る頃には、彼の姿も、道の上に見えなくなっていた。


 さて――。彼がそこへ還ってきたのは幾度目だろうか。
 空の青と海の青とに焦がれ、渡り続けた白い鳥の君はようやく、世界の色そのものと相成った。
 旅して育まれた数多の青は、今度は触れた人の内に肥沃な土壌を作る。そこから生まれる声や歌に宿り、それがまた、誰かを豊かにする。巡り巡り、連なっていく。
 草原の姉弟は繰り返し歌い、繋いだ手に温もりが通うのを覚えて、幾らか心を軽くする。穏やかになって誰にともなく微笑む二人の頬には光の露が跳ね、その間を、どこからともなく運ばれてきた小さな花弁が吹き抜けていった。


 青/終 (連載:2012/05/16〜06/13)



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