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   【01】旅路の果て、空の慟哭


 沈む陽を追う彼の背を、雨が、後から後から忍びもせずについて来る。
 記憶の風景に時の経過などないので、そこはいつまでも変わらない姿であり続け、また自分を迎えてくれるものと、彼は頑なに信じていた。願望で凍結させていたのだ。しかし現実は、記憶のそれとあまりに掛け離れた姿を、彼の前に晒した。
 落日は一帯を、彼に追いすがった暗い雲さえ、染める。陽の光りと雨の湿りが稀有な混在をし、金色の大きな粒が、廃屋と瓦礫をぱたりぱたり叩き始めた。
 あの時、旅立ちの刻も昇ろうとする日が染めていた。雨が降っていた。似ている。出立か終着かの違いがあるだけで――。
 強くなる雨音の奥に、微かな歌声を聞く。それは黄昏の街と暁の街、一体どちらから聴こえてくるものだろうか。いっとき今と昔の判別がつかなくなった彼は、朱も金も二重になったその土地を彷徨う。
 地から沸いた雨煙がかつてあった街並みや人の幻を揺らめかせ、天から駆った雷光が一刹那それを薙ぎ払う。いたずらにうつる世の盛衰。時が交互する中、彼は道の先に一際懐かしい人の影を見た。
 赤い傘を差し、彼女が歌っていた。あの日と同じ祈りの歌を。彼は弾かれ、その背を追う。そこにおいて彼女の衣だけが何にも染まる事なく、真白に輝いてみえた。
 他の影達がすれ違い様、幾度も彼に問うてくる。

 ――なぜ、捨ててまで行ってしまうんだね?

 答えずに過ぎる度、影はろうそくの火のようになびいて次々に消えていく。求めるものを得るために、求めてくるものを置き去った。当時の彼を責めた周囲の言葉をも、雷は過去から翻して現在に閃かせる。

 ――なぜ、捨てたのに戻って来たんだね?

 轟きが腹を打つ。彼がその場に立ち尽くしてしまうと、前を行っていた彼女も、ふいと足を止めた。
 振り返り傘から顔を少し覗かせて、彼女は微笑んだ。そしてまた歩き出す。彼はずぶ濡れてだんだんと重くなり冷えていく身体をひきずるように、付いて行った。
 細い路地だった覚えの破片を踏みしめて抜け出たところは、彼女の家の敷地。ここも例外なく、家屋は中をぶち撒けて野晒しになっている。
 その残骸の隅に、彼女は佇んでいた。やっと追いついた彼と向き合う。

 ――いいえ、私の事はお気になさらずともよいのです。御心の赴かれる先に、どうか、幸がありますよう――。

 許してくれたのは彼女だけだった。
 見上げてくる瞳に、何か言おうとしても彼はすっかり凍えていて喉が縮み、舌も回らない。声を発する事のもどかしさを捨て、一歩踏み出す。
 傘が舞い、宙で眩い雨に散じた。
 彼女を抱きしめたのに手応えがなかったのは、寒さに感覚を奪われていたからではない。触れた瞬間にへたってしまい、両の腕に空しく残ったのは、泥と血に塗れてとうに元の色を忘れた、彼女の衣。
 膝をついたそこで初めて、彼は声をあげて泣いた。涙が、後から後から忍びもせずに流れ出る。
 嗚呼、全くどれだけの暁と黄昏を巡れば気が済むのだろうか。いつだって、求めたものはそこにあって、もうそこにない。
 雷鳴が、慟哭が、朱の空を割る。呼応して雨は益々、激しくなるばかりだった。



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