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   7.後悔と奇跡


 時は逆行の加速を続け、アルアは力学を脱ぎ捨てて天に駆るココロ持ちでした。錆びみたく古びた赤を呈していた瞳が青白い輝きを放つ様は、まるで膨張した星が満ち満ちたエネルギーを凝縮させる星へと、若返ったかのようです。
 宇宙そのものも膨張から収縮に転じていて、終わりから始まりという果てから果てへと、彼女は向かっていきました。星ごと自らを滅ぼしてしまった愚かな人の歴史も、銀の時計とともにまるごと手の中に収まっています。アルアはもはや自分がどのような姿になっているのか知りようがなく、醜さと絶望と願いを抱いて星になったという童話の鳥のように、燃え盛る翼を広げて昇り続ける感覚だけが、彼女自身にその存在を焼き付かせるのでした。
 アルアの過ぎる端を境界に、空間からは奥行きが失せ、浮かぶ天体の球面も、歪む境界の曲面も、タイル状の平面にこま切れては剥がれます。その一枚一枚もやがてこよりのように細く連なっていき、無数の直線と化してアルアを囲い、伴走しました。それらの引かれる様は、ラセフが図面上にペン先を走らせていた時の光景を、想起させます。
 その、アルアからみたZ軸上の線全てに一点ずつ接する条件で、手前から順に、円が等間隔に連なっていきます。それが円筒状のトンネルを形成して、彼女に道を示しました。アルアは整然と描画していく導き手を追うように、幾重もの円をくぐり続けます。
 機械の眼が幾何的に捉えるその宇宙に、アルアは『星のココロ』と出会った世界を、重ね見ました。


 ラセフと話したあの後、アルアは彼と、機関本部のある他国の都市へ飛んだのです。移動にも上層部へ話を通すのにも紆余曲折ありましたが、ようやく案内された本部内の操作室から、ユディエが不正なプログラムファイルを転送して惑星制御システムを暴走させたという、星の人工知能との通信を試みるに至りました。
 アルアは電界に自分の意識体を乗せ、接続したコードの導体をレールに、それを滑走させます。途中で通信を遮断しているという頑強なゲートに何枚も遭遇しましたが、せき止めたデータの屑を辺りに漂わせるその障壁は、アルアにとってのみ透き通る水に等しく、彼女は飛び込むと突き抜けるを繰り返して、更に奥を目指しました。
 進むにつれ、向かい来る風が熱を帯び、アルアを煽りました。最深部はうねる光を放ち、ゲートを突破する毎に砕ける水の粒を輝かせます。それは蛇のように伸び、曲がりくねるのを経て眩い直線に変わり、彼女を目的の方向へと導いていきました。
 アルアは辿り着いたそこで、凍る殻を溶かしながら煮え返り、穴や亀裂から悶えた姿を覗かせる、星の核を見ました。やはりユディエが流し込んだファイルはココロプログラムであり、ここは星自身が投影した心象の中なのだと、彼女は理解します。
 咆哮に似た音が、腹の底を蹴り上げました。殻は白や金の気体を絶えず噴き出して、見る間に破れていきます。膨れ続けるエネルギーを抑え切れず、爆ぜる寸前なのは明白でした。実体であれば目から爛れ落ちていたであろう光線と、対流でせり上がってくる熱の量、跳ねつける力に気圧されながら、それでもアルアは、星とココロを通わせる事を諦めませんでした。星は確かに、アルアに何かを訴えようとしていたのです。ゲートを無条件に通したのも、まだ星にその意思が残っているためと感じられました。それを欠片でも拾おうと、アルアは全身を研ぎ澄ませます。纏っていた仮想の衣が花弁を模して千々に舞い、隔たりが払われると、その輪郭は淡く揺らぎ、空間との境をも曖昧にしました。
 喜び、楽しみ。ラセフとの暮らしでそれらを持てたアルアですが、その場に渦巻く負の感情は、未だ彼女には無いものを多分に含んでいます。それは自分の身体と尊厳を切り刻まれた事への怒りや憎しみ。逆に星は、正とされる感情が大変希薄でした。自分がそこに溶けてひとつになれば、分け合って不完全だったココロが噛み合い、暴走も治まるのではないかという気になって、彼女は止まない痛みに耐え続けるのでした。そこに留まってただ働きかけを待つ事しか出来ない無力さを、最も痛烈に感じながら。
 その只中で、彼女のココロに触れ、それを凛と鳴らすものがありました。梳かれるようになびいた髪の先から、煌く粒が零れます。ユディエの姿が、胸をかすめました。
 伝播した狂気は桁違いに増幅されていましたが、一握り染まらずに残った部分も、それと比を同じくしていたのです。核が急激に流動を速め、殻を滅して溢れ出した光と周囲の一切が判別つかなくなる手前。世界が暗転したその一瞬に、そこから弾け飛んだつぶてが閃いて闇に切り込みを入れ、アルアを元の世界へと、弾き飛ばしました。


 激情が涙に転じ、慟哭の災禍が地上にもたらされると同時だったので、胸に打ち込まれたつぶてが含有する星の思念を、アルアは無意識の層に沈めたままでした。それがここへ来てようやく意識に上り、アルアを取り巻いていた三者に共通するものであった事を気づかせます。
 皆、叶わない願いが全てを壊したと知りながら尚、最期には叶わない事を願うしかなかったのです。
 時を戻せたなら、と。
 ユディエは銀の時計に、それを強く残しました。
 ラセフは繋いだアルアの手に。
 星はアルアのココロに。
 そうして彼女は託されたように、それを願いました。

 ――時を戻せたなら。
 星が壊れる前まで。
 大切な人と過ごした日まで。
 行く先を誤った岐路まで。
 人がただただ、愛を願っていた頃まで――。

 アルアに伴走して直進する線同士の関係は、平行のようでいて、徐々に互いの間隔を詰めていました。円もそれに伴い、錐体の先端へ近づくのに等しく、直径を小さくしていきます。描画されたものと彼女のほうき星に似た尾は、後方に流れては点の集合に戻って末広がり、散り散りになりました。
 向かう先にあり、線達がいずれ重なる交点は、宇宙を描いた原初にあたります。それにはこの世界が生まれて初めて零した光の一粒が、寄り添っていました。その天体と燃え盛るアルアは、対を成せるほど同等の輝きを放っています。
 外からと内から、両方の光に視界を眩まされて原初の点に飛び込む間際、彼女は真っ白に返ったその図面に、思い描きました。

 ――ああ私も、最期に願ってよいでしょうか。
 この限りある身体を、遠い星に。
 この限りないココロを、夜の空に。
 行く末を異にする向こう側をください。
 アイする人達とその輝きを、分かち合えますように――。


   ***


 空の誕生を 祝う光が
 誘うまたたきに 心清まして
 人は星に願う その訳は遥か
 百億光年よりも彼方にある


 まるで無関係に思われる、私達が今いるこの世界では、時計が正しい回り方で針を進めています。ただ、基点を突き抜けて尚も続く逆行が順行として捉えられる裏側であったとしても、事実は、誰が知る由もありません。

 願いを持った時、人の心はおのずと星へ向き、それを投げます。叶える力はなくとも、星達は夜ごとあらゆる願いを受けて輝き、しばしば闇に迷う者の道に、灯るのです。
 自分達のいなくなる先にまで心を及ばせて、人々が刹那しか持てない時を削って紡ぎ出した旋律は、高く昇っていきます。
 愛を伝える歌と、それを伝えられる未来が、絶える事なく永遠に続きますようにと。
 そこに一斉に瞬く光の最初の一粒は、今も燃え続けて、彼方よりそっと微笑みを返すのでした。


 人が星に願う訳/終 (連載:2012/11/14〜11/20)



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