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 次にそれらしき目撃情報が入ったのは、週の半ば。訪れたのは遅がけだったが、『香山畳店』と書かれたガラスの引き戸はまだ空いていたので、俺は中の作業場にお邪魔した。
 白い蛍光灯の下、作業台では職人さんがひとり、仕上がった畳を拭いている。ここは日常的に猫達が出入りするので、店の人は相変わらず俺を気に留めない。隅っこには畳を作る過程で出た草屑が寄せ集められていて、そこに敷かれたボロタオルの上では、いつも通りイグサがくつろいでいた。更に、彼女の傍らで丸くなって寝ているホクテンの姿も目に入る。
「あらまア、コクミツちゃん。いらっしゃい」
「やあ、小波字と堤字の班長猫にひととこで会えるとは幸いだ」
 俺の気配で目を覚ましたホクテンがのそりと起き上がり、伸びと同時に大きなあくびをする。
「――すっかり寝入ってしまっていた。もう外が暗いな、一旦家に戻るとするか」
「一旦、という事は後にまた出掛ける予定があるのか」
「ああ。昨夜の堤字の集会で、『カマボコとチクワの違いについて』の議論が白熱してな。結論が出なかったので、今夜も集まって続きをする事になっている。またカマボコ派とチクワ派に分かれてのオススメ合戦に終始するだろうが、それも一興だ」
 猫達は元来夜行性。外が暗かろうと気ままに出歩いて気まぐれに集会をする事もあるので、夜中でも交流出来なくはない。だが今は孝史郎としての生活が特に忙しくて、疲労からなかなか遅くまでは活動を続けられず、その議論に混ざれないのが悔やまれる……じゃなかった、いや正直それもあるのだが、何より情報収集に赴けないのが惜しい。
「まア、楽しそうねエ。その集会のお話、また聞かせてちょうだいネ」
「勿論だとも」
 ちなみに、滅多に家を離れない上に早寝早起きなイグサには、店が開いている時間帯にしか会えない。そのイグサの手前に、俺は扇型の黄色い葉を見つけた。それは秋から剥がれ落ちた一片であり、冬の気配そのもの。
「イチョウの葉だな、松原字から誰か来たのか」
「エエ、アズキちゃんが持ってきてくれたのヨ。あの大きな木、今年もきれいに染まっているみたいネェ。懐かしいワ」
 この町にイチョウの木は、松原字の三叉路に生えるあの一本しかない。よく見ると草屑の山には、イチョウの葉の他にも小さな木の実や花びらなどがいくつも挟まっている。どれも年齢的に遠くまで足を運べないイグサのために、猫達が持って来る季節のお土産だ。寝床の草屑は定期的な掃除で店の人が入れ替えるのだが、それごと片付けられるまでの間、イグサはそのひとつひとつを大事に愛で、時にはまつわる場所の思い出話を猫達に返したりして、楽しんでいるのだった。
「松原字のデガラシちゃん、最近元気がないみたいネ。心配だワ」
 イグサが言ったので、俺は頷いた。
「そうなんだ、会いたい猫に会えないままでな」
「あのねコクミツちゃん、昨日、見かけないコがうちに来てネ」
「ほう」
 イグサにも、捜している猫の事は経緯を含めて伝えてあったので、話の流れからそれに関係するものだろうかと続きに耳を傾ける。
「裏手に立て掛けてあった畳で爪研ぎをしかけたから、それはしないでネってお願いしたのヨ。ビックリさせちゃったみたいで、そのコはすぐに逃げ出したのだけど、よろけたのと、体がとても汚れていたのが心配でネエ。鈴音の湯を勧めたら、立ち止まって振り向いてくれたから、煙突が目印ヨと教えたワ」
 臆病な、汚れた猫。ヨツバが見た者と同じ特徴だった。それを受けて、ホクテンが思い出した事を口にする。
「するとあれはもしや、そいつの仕業か」
「あれ、とは?」
「ここへ来る前ススケに会ったんだが、今朝、いつもの場所に置かれた飯を食べに行ったら既に皿が空になっていたらしく、憤慨していた。この町に、それがススケの飯と知っていて横取りする奴がいるとは思えないし、知らなくてもよその餌を盗み食うほど飢えた者がいるとも考えにくいからな、不思議に思っていたんだ」
 ススケは半野良の通い猫なので、餌は表に置かれるのを食べている。そこは梅じいさんとススケが餌を通じて距離を縮めた場所で、今まで変わった事はないし、多分これからも変わる事はない。
「なるほど、素直に鈴音の湯に向かったのだとしたら、そこの置き餌を食べたのはイグサが見た猫かもしれないな」
 これまでの皆の証言から、それらが全て同一の猫であるとすれば、最北の松原字から島中字、小波字、貝塚字、と順に南下している事が伺える。
「となると、次に現れるのは堤字か?」
 葦沢町最南端にあたる堤字の班長猫ホクテンはそう言って、寝起きで緩んでいた表情をひきしめる。
「その可能性は大いにあるな。いつもより注意して見回りをしてもらえるか」
「了解した、集会でも皆に心当たりを聞いておこう」
 そうして後に、その猫とは意外な場所、思わぬ騒動の中で、まみえる事となる。
 
 
   ***
 
 
 明日から始まる文化祭のため、本日は全学年授業なしの準備日。演劇発表は一日目に二年生、二日目に一年生が行う予定だ。従って体育館の舞台は今日のうちに二年生が本番に向けたセッティングをするが、それまでの午前中は、一年生の俺達が使ってもよい事になっている。
 段取りの最終確認として通し練習をするにあたり、俺は本番で使う衣装に着替えた。身を覆うマントに長靴、手袋、そしてフサフサの猫耳と尻尾に至るまで、全て白い。支度を終えて舞台の前まで行くと、真っ先に梶居が声を掛けてきた。
「わあ似合ってるう! 頑張って作った甲斐あった!」
 自分自身は違和感が拭えないのだが、それは普段が黒猫であるから――とはとても言い訳できないので、今もって役に入り込めていないという具合に不安を訴える。
「うーん作ってくれたものはどれも凄いんだけど、でも何か、俺が追いつけていない気がするんだよな……。衣装に着られてるみたいで」
「ううん、そんな事ないよ! 思ってた以上にばっちりはまってる!」
 梶居ではないその思いがけぬ声に、驚いて顔を上げる。
「え、天瀬。なんでここに――」
 いま体育館には同じクラスの生徒しかいないはずなのに、何故か梶居の横に立ち、彼女はきらきらとした眼差しを俺に向けていた。
「カジーちゃんについて来ちゃった」
「劇用の衣装と小道具を部室で繕ってたら、小夜子すごく興味持ってさあ。一足先に、役者が身に付けてるとこ見せたくて」
 二人共、同じ家庭科部の所属だった。
「カジーちゃん、部の文化祭用の物と平行でこれ作っててね。仕事早いのに丁寧で感心してたんだ」
 話しながら天瀬は俺に歩み寄り、手を伸ばす。
「特にこの猫耳と尻尾のフサフサ感、本物みたい。実際に孝史郎君が付けるとこんな感じになるんだあ……。可愛い」
 無邪気に頭の耳を撫でられ、途端に全身強張ってしまった。作り物の部分にも関わらず直接触れられているかのように敏感になるのは、天瀬が言う通りの本物さながらな出来栄え故かも知れない。
「ん? どしたの、もしかして照れ――」
 見ていた梶居が俺に言いかけた時、いきなり天瀬共々、斜め上からピンスポットで照らされた。
「おーほんとだ、もうこっちのセッティングはばっちりだな」
 遮光カーテンを閉めに二階の通路へ上がっていた、龍彦と照明係の仕業だった。梶居が怒る。
「こらぁ、たっつん! 遊んでないで早く舞台道具運んできて!」
 へいへいと照明を切り、『たっつん』こと龍彦は降りる階段へ向かっていく。幸い俺はその明暗刺激で強張りが解け、動けるようになった。
 あまりに絶妙なタイミングだったので、後に『あの救いの光は意図的だったのか』と龍彦に尋ねたら、そうではなく、ただ俺と天瀬の二人にスポットを当てたかっただけ、と返された。……これについては自分が鈍感でよかった。その状況に気づいていたら、意識してますます動けなくなっていたところだ。全く、余計な事はしてくれるなといつも言っているのに。
 それにしても近頃、おじさんと呼ばれたり、可愛いと言われたり。持たれる印象の違いについていけず参ってしまう。おまけに今は人の姿で白猫を装う黒猫だなんて、自分でも訳が分からなくなりそうだ。密かに溜息を漏らして、俺はとりあえず話題を自分から逸らした。
「梶居、部活の合間にも作業してくれてたんだな。で、そっちの部の方はどんな企画をしてるんだ?」
 文化部の生徒には、クラスだけでなく部からの出し物の準備もある。何せ『文化祭』という名の行事だ、むしろ彼等にとっては部のほうが主だろう。日頃の成果を披露して活動を広くアピールできる、年に一度の好機。梶居は意気揚々と答えた。
「お菓子の家を、ミニチュアで再現して展示するんだ。勿論、全部お菓子でね。ヘンゼルとグレーテルの登場人物の衣装も作ったから、それ着てお客さんを迎えるの」
「孝史郎君、来てくれる? あと、できたら私も童話の衣装で、孝史郎君達と写真撮りたいけど……無理かな」
 天瀬の願いに、梶居も乗る。
「あ、そのコラボいいね。演劇やる二日目に時間作ろっか。撮影で回る先生にも、決めた時間に来てもらうようにしてさ」
 天瀬と初めて一緒に写る写真がこの格好となる事にはやや不服があるも、彼女に望まれるなら応じるしかない。何より自作の衣装を着た天瀬を見られるのは、それを打ち消すほど楽しみだ。
「他の皆がいいなら、俺は構わないけど」
「ほんと? 聞いてみてよかった!」
「じゃ、後で私から皆に言っとくね」
 話がひと段落して、天瀬は壁の時計を見る。
「そろそろ戻らなきゃ。孝史郎君、演劇楽しみにしてるから頑張ってね!」
 自分のクラスの模擬店設営場所へと帰る彼女を見送って思う。驚きはしたものの事前に本番衣装で彼女に会い、その反応を見られたのは良かった、と。これで当日、暗い客席の何処かにいる彼女が一体どんな面持ちでこの姿を観覧しているのか、なんて事を気にせず演技に集中できる……といいのだが。
 ほっとした矢先、天瀬と入れ違いで緊急事態の報が飛び込んで来た。
「まずい、仁村(にむら)がインフルエンザの疑いだと」
 担任の元からそれを伝えに来たのはキタロー。クラスメイトの仁村は此度の演劇で、粉挽き屋の三男役。しかし今朝は発熱で病院へ行くため遅刻するとの連絡があり、まだ学校に来ていなかった。場がざわつく。
「まじかよ、そんな高熱だったのか」
「じゃインフルでなくても、明後日に舞台に立つのは無理じゃない?」
「今年の葦沢高インフル第一号だったら、もう何人か感染してる可能性高いし、当日俺等のクラスの参加自体が危ういな」
 丸めた台本を手に、キタローは腕を組む。
「まだ診断が確定した訳じゃないからな。今は違う事を願って、とにかく代役を立てないと」
 しかし、この演目において粉挽き屋の三男は重要な役柄。台詞も主役に次いで多く、前もって準備していない者がそうそう演じられるものでは――。
「あー、そっちは最初のシーン用だからもう舞台に上げてくれ。こっちはひとまず袖に持ってくわ」
 そこへ戻ってきた龍彦の声。表から彼を含めた数名が、体育館に大道具を運び入れる。大道具といっても、さほど大掛かりな物は無い。主な背景は舞台上部のスクリーンにプロジェクターでスライドを投影して作るので、実際に設置される物は、歴代の演劇で修復を繰り返しながら使い回されている木や岩や草のハリボテがほとんどだ。
 キタローが彼等を呼び止める。
「ああちょっと集まってくれ、さっき知らせが入っ――」
 ふと『名案』を思いついてしまった俺は、咄嗟に彼の口を制した。それからダンボール製の岩を肩に担いだまま側で立ち止まった龍彦に、おもむろに向き直る。
「ん?」
 きょとんとする彼に何か聞かれる前に、俺は大きく息を吸い、次の台詞を放った。
「――おや、不安そうなお顔ですね? ここで演じられなければ、今度こそ泉の底から地獄の底にございますよ」
 我ながらいつになく堂々と芝居ができたのは、気掛かりがひとつ解消されたばかりだからか。台本にあるそのシーンを即座に理解し、彼は半ば条件反射的に乗ってきた。
「分かった、お前を信じて演じよう」
 さすがだ。俺も、お前との練習の成果を信じていた――。
 ざわついていた体育館内が水を打ったようになる。注目を浴びて、龍彦はまごつく。
「……え、なに、何だよ」
 キタローが台本で彼を指す。
「そうか、演じてくれるか。よし、採用」
「は?」
「実は、仁村がな――」
 説明を受けてようやく事情を把握し、龍彦はハリボテ岩を放り上げて猛然と拒否する。
「無茶言うなよ! 本番明後日だぞ、しかも三男役とかできるわけねえ!」
 宙に舞ったハリボテ岩を慌ててキャッチする大道具係達。それを横目に龍彦を説得する。
「俺の練習に付き合って、台本の台詞はもう全部頭に入ってるだろ」
「実際に舞台に立って演技するとなったら勝手が違い過ぎるって!」
 俺達のやりとりを聞き、梶居が感心する。
「って事は、台詞が全部頭に入ってるのは確かなんだ? すごいじゃん。それでさっきの返しができたのかあ、納得」
「え、いや、だから、だからってそれとこれとは……」
 しどろもどろし始めた彼に、キタローは頼み込む。
「そんだけでも御の字だ。他の奴じゃ間に合わない、引き受けてくれないか」
「いやいやそう言うキタローこそ、自分が書いた台本なんだから内容丸ごと覚えてるだろ。お前のが適役――」
 梶居が龍彦の意見を遮り、首を横に振る。
「無理だよ、にむらんに合わせて作った衣装、キタローには絶対大きいもん。けどたっつんなら、にむらんと体格似てるからサイズに問題ないよ。それに孝史郎君の演技も、あんた相手だと何かいつもの固さが取れててよかったしさ。ね、思い切ってやろ?」
 皆、キタローと梶居に同意していた。
「これから台詞と演技の両方を覚えるのは相当厳しいよね」
「孝史郎と仲良い分、自然な掛け合いできそうだしいいと思う」
「だな、もう他の候補は考えられない」
 期待で周囲を固められ、言葉を失くした龍彦は恨めしげにこちらを向く。そんな彼に対して、俺は最初の配役が決定した際に彼から言われた言葉をさりげなく返した。
「ばっちりサポートするから」
 
 これをもって、最近やられっ放しだった俺から龍彦への仕返しとさせてもらう。無論、仕返しするからには彼のその働きによって幾度となくもたらされた『結果オーライ』の再現にまで、とことん努める覚悟だ。
 残すところあと二日。今日と明日とで詰め込みと追い込みの稽古をし、俺達は上演の日に臨む。
 
 
 長靴を履いたニャンデレラ・中編/終



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