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 俺は龍彦と共に、子猫を連れて再び堤字に戻ってきた。日はすっかり暮れて、田畑がほとんどを占めるその区画で採れる明かりといえば、まばらな街路灯と月の光だけ。
 訪れたのは田んぼに囲まれてぽつんと建つ、木造の古ぼけた空き家。だが用があるのは空き家ではなく、その脇にある小さな納屋の方だった。
 ――と、先に説明しておかなければならないが。
 今の俺は、黒い短毛に蜜色の瞳の、猫の姿だ。
 タオルと子猫達を入れた箱をカゴに乗せ、俺を肩に乗せして自転車を走らせてくれた龍彦には訳あって空き家から少し離れた場所に待機してもらっていたが、ここにいる『当て』の相手と話がつき、俺が一匹目の子猫をくわえて納屋に運び込んだ後、二匹目の子猫を同様に預かると、龍彦は手を振って帰っていった。礼を言いたいところだったが、いかんせん猫の時は人の言葉を話せない。しかしその事は龍彦も承知してくれているので、礼はまた後日、改めて言う事にする。
 さて、注意深くその首根をくわえて子猫を連れた俺は、あぜ道を駆けてまた納屋へ向かった。
 ここの納屋の引き戸がいつでも数センチ開いているのは、何も建て付けの悪い事が理由ではない。猫達が自由に出入りできるように、俺が『考史郎』の時にあらかじめ開けておいているからだ。
 その隙間から、納屋の中に入り込む。すぐ側に立つ電柱の街路灯に灯された明かりが薄いトタン屋根にぼんやりと染みて、中を淡く照らしている。この納屋の中には以前、農具の類がたくさん収められていたのだが、使っていた住民がいなくなった今はそれらの道具はひとつも残っておらず、床に俺の持ち込んだ使い古しの布切れがたくさん敷いてあるだけだ。
 瞳孔をまんまるく開いて微量な光を取り込む俺の目は、左手奥の壁際にいる一匹のメス猫と、そのお乳を飲む四匹の子猫達を映した。
 歩み寄ってメス猫の顔の近くに白毛の子猫をそっと置くと、彼女は愛しそうに目を細めて、その小さな身体を毛並みに沿って舐めた。
「自分の子等の世話だけでも大変なところを無理言ってすまないな、ヨツバ」
 ヨツバというのが、このメス猫の名前だ。右の背にある斑が、四つ葉のクローバーの形っぽい事に由来している。
「いいのよコクミツさん、四匹が六匹になったところで大して変わりないわ。それに、私だってあなたの家の納屋をこうして借りているのだし。お互い様よ」
「ありがとう、恩に切る」
 聞いての通り、俺が拾った二匹の子猫の預け先に選んだのは、このヨツバだった。子育て中の本物の猫であればお乳も出るし、世話をお願いするのに最適だと思ったからだ。
 ヨツバが顔で押して自分の腹の方に促すと、白毛の子猫は他の子猫の上を泳ぐようにもがいて、お乳のひとつにありついた。それを見届けて、俺はヨツバに告げる。
「――じゃあ、俺はこれからこの子猫達の親猫を捜しに行くよ」
 するとヨツバは、その親猫なんだけど、と言葉を挟んだ。
「……この子猫達、一匹は白だけど、先に連れてきたもう一匹は……茶トラ、よね」
 確かに、最初に連れてきた方の子猫は茶トラ毛。そういえば、ヨツバが産んだ四匹のうちの一匹も、同じ茶トラだ。今は二匹並んで、ちっちゃな前足でヨツバの腹をぎゅうぎゅうと押すようにしながら一生懸命にお乳を吸っている。
 ……それを見てヨツバの言わんとする事に気づき、よぎる一抹の不安。
「まさか、この子達の父親……」
「……いや、この町内で茶トラ柄の猫はあいつの他にもいくらかいるし……。第一、この土地に住まう猫が親だとも限らないからな。あまり気にしない方がいい」
 ……などと言ってはみたものの、悲しきオスの性。危惧するそれは決して有り得ない事ではないので、俺は自分の言葉に、いまひとつ自信が持てなかった。


 納屋を出た俺は、あの子猫達と似た毛と柄を持つ猫を順に当たってみる事を決めて、また暗いあぜ道を駆けた。
 一車線の道路を渡って田園地帯を抜けると、その先は貝塚字。だがその道路を渡る前に、俺は上から降ってきた声に呼び止められた。
「よう、コクミツ。定期巡回……にしちゃやけに急ぎ足だな。何かあったのか?」
 道路脇にある民家を見上げると、そこの塀の上に、一匹のオス猫が座っている。
「――ホクテンか」
 ブルーグレイの毛に、青と琥珀のオッドアイを持つその猫――ホクテンは、塀からしなやかに飛び降りて俺の側へやって来た。彼は、今は野良猫だが元々は飼い猫という俺と似た境遇にある猫で、ホクテンという名も、その元飼い主が付けたものだという。
「ちょうど良かった、尋ねたい事があるんだが」
 俺はこの堤字で見つけた子猫についての事を、『考史郎』と『龍彦』が関わる部分は適当にごまかしつつ話した。何故そこをごまかす必要があったかというと、猫達にも、人間の『考史郎』と猫の『コクミツ』との関連は、知られないようにしているからだ。
 話している間、ホクテンは神妙に耳とヒゲを前に向けて、それを聴いていた。
「……む、そうか。すまん、その子猫の事は気づいていなかったよ。親猫にも心当たりがないな」
 一通り聴き終えたホクテンが謝ったのには、理由がある。彼にはこの堤字の『班長』を任せているので、その情報が把握できていなかった事を彼は『ボス猫』の俺に対して、謝ったのだった。
 ――そう。俺ことコクミツは、実はこの葦沢町の猫達をまとめるボス猫なのだ。
 『まとめる』、『ボス』、とは言っても、猫は元来単独気質の動物。犬達のように群れ、上位の者が統制をとって大勢でひとつの行動を起こすといった類の事はしない。
 他の地域ではどんな体制かとられているのか知らないが、人との共栄共存に重きを置く現在の葦沢町の猫社会においては、ボス猫の役割といえば、主に猫の側から人とトラブルが起こってしまう事を防ぐ事だったりする。
 猫達の間に定められた『約束事』の番人として、それが守られているかどうかを見張り、また破ってしまった者を戒める事が仕事の中心なのである。
 だが猫の身にとってこの葦沢町は広すぎるので、ボスが一匹で巡回して町全体の状況を常時把握するなどは、なかなか至難な事。だから俺は五つに区画されている町内のその字ごとに、そこに住まう猫の一匹に『班長』という名の情報係を頼んでいる。班長という呼称は、人間の自治会に当てはめるとボス猫の俺は町内会長で、情報係の猫達は各区画を代表して町内会長を補佐する班長的な存在である事から、便宜上つけたものだ。
 そういう事で各地の情報はそこを担当する班長猫に聞けばある程度の事が分かるようになっているのだが、先の話にあった通り、今回ホクテンは堤字の田んぼにいた子猫には気づけなかったらしい。しかしそういう事もあるだろうと思い特に咎めるつもりもなかったので、その事については流して俺は子猫の話題だけを続けた。
「心当たりなしか……。やっぱり子猫と似た猫を、片っ端から当たるしかなさそうだな。どうにかして母猫に辿り着ければいいんだが」
「ならば俺は、堤字の猫達から繋がりのありそうな情報を集めてみるとするか」
「そうしてくれると助かる、頼むよ」
 そう話がつくと俺とホクテンはその場で別れ、互いに行くべき方角へと足を向けた。



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