前の項へ戻る 次の項へ進む ★ くろねこ風紀録・目次 小説一覧


   こねこどこのこ?


 二つの一級河川が合流して太平洋に注ぐ、その河口部にできたひょろ長い三角州。長い橋を渡らなければ隣町へは行けない、葦沢町(あしざわちょう)は、そんな孤島状態の田舎町だ。
 でもそれを不便だとは、俺は思わない。俺だけじゃなく、ここに住む誰もがそう思っているんじゃないだろうか。
 この町には、田舎ならではの自活力が備わっている。のどかな田園が広がり、規模はごく小さいが漁港もある。地元の産物をそのまま、または手を加えて提供する商店街があれば、金物や靴や傘、家具、畳など生活に必需の物を生産、修繕できる職人があちらこちらにこぢんまりと店を構え、人々の暮らしを支えている。
 必要なものが自給自足で大方まかなえて、町そのものに『生きている』という実感を持てるところがいい。極端な話、対岸と連絡する橋の全てが落ちて本当に孤立してしまっても、さしずめ生活には困らないのではないかとすら思う。
 ドーナッツ化した都会的な空虚はなく、人々はこの町に確かに息づいている。
 人だけではなく、動物達も。
 ここで『共存』がうまくいっているのは、こうした土地柄が基になった、充足からくる人々の心のゆとりによるところが大きいのだろう。
 そんな葦沢町が、俺は好きだ。
 だから、ここに共栄する『二つの社会』を、『二つの身体』をもって、微力ながら守っている。


   ***


 俺こと高峰考史郎(たかみね・こうしろう)が今年の春から通い始めた県立葦沢高等学校は、その名の通り地元もいいところな葦沢町内。三角州の海に面した南東の端に、田んぼに囲まれて建っている。自宅からの距離は自転車で十五分といったところだ。
 桜の木がすっかり花を散らしてから、一ヵ月。今はこれから到来する夏の盛りに向けて、その枝に青葉を伸ばしている。
 俺がそれを見つけたのは、そんな五月初めの放課後、下校途中の事。
 学校のある堤字(つつみあざ)で、まだどこも擦れていない新しい学ランを着た俺は、両傍に田園を見る見通しの良い道路のへりを、自転車で走っていた。所属している風紀委員会の定例会議が長引いたので時刻はすでに午後六時を回っていて、日照の長い時期とはいえさすがに陽は傾き、辺りには夕闇が迫りつつある。
 暗くなる前に家に着きたかったので、陽の陰りに急かされるように帰路を急いでいたのだが、ふと、耳がある『鳴き声』を捉まえた事で、俺は自転車を止めた。
 自分の他に人影も車の通りもなく静まった周囲に目を配り、耳をすます。
 すると、確かに「ニィ、ニィ」だか「キュウ、キュウ」だか、何かのか細い鳴き声がどこからか聞こえてきた。
 俺は整備されていないあぜ道へ入ってそこに自転車を停め、声のする方角を耳で探りながら足を進めた。
 まだ田植えには少し時期が早いので、水の張られていない田んぼには重量感のある色の土が剥き出しになっている。その田んぼのひとつ、雑草が伸びるあぜのすぐ下に打ち捨てられたぼろ毛布があるのを見つけ、俺はそこに降りた。
 声は、その毛布からしている。身を屈めて薄汚れたその端をそっとめくってみると、ちっちゃな毛玉が二つ。
 まだ目も開いていない、子猫だった。
 一匹は茶トラ柄、もう一匹は白毛をベースに部分的に少し茶毛の混じった猫。茶トラ毛の子猫は、しきりにニィニィと鳴いてモソモソしている。もう一匹の方は鳴かずに、毛布に埋まりじっとしていた。
 産まれてからまだ間もなさそうなこの子猫達だが、辺りを見回してみても、親猫らしき姿は見当たらない。
 茶トラ毛は鳴き方からして随分と腹を空かせているようだし、白毛の方に至っては少し弱っているようにも見えた。毛布にはまだ陽の温もりが残っていたが、夜になればすぐに冷えてしまうだろう。
 捨てられたのか、親猫が何らかの事情で戻らないのかはわからないが、俺としてはこの子猫達を、このまま放っておくわけにはいかなかった。
 ちょっときれいとは言いがたい、砂まみれの大きな毛布ごとその子猫達を抱えて、俺はそれを、自転車のかごに積んだ。


   ***


 小波字(こなみあざ)にある俺の家はアパートで、動物の連れ込みは御法度。仕方がないので、子猫連れの俺はとりあえず貝塚字(かいづかあざ)の一軒家に住む、幼馴染の野坂龍彦(のざか・たつひこ)の助けを借りる事にした。貝塚字は三角州最南端の堤字と中央部の小波字の間にあり、学校からは自宅より龍彦の家の方が近い。
 そんなわけで龍彦の家の前に着いた俺は、停めた自転車からまた子猫入りの毛布を抱え上げた。門のない入り口から垣根に囲われた敷地に入ると、右手の庭に長いワイヤーで係留されている柴犬のムサシが、巻き尾を振り振り歩み寄ってきた。今年3歳になるムサシは子犬の頃からよく見知っている俺には吠えないが、抱えている猫入りの毛布の塊が気になるのか、傍に来て興味深げに首を伸ばしてフンフンと丹波黒豆のような鼻先をひくつかせる。
 そんなムサシの頭を片手でわしわしと撫でてから玄関扉の前に立ち、俺はインターフォンを鳴らす。
 ほどなくして出てきた龍彦は、制服から着替えてトレーナーに綿パンというラフな出で立ちをしていた。事情を話し、毛布は庭に残して中の子猫だけを連れ、二階にある畳敷きの龍彦の部屋に上げてもらう。
 迷惑ついでに、お湯を張った洗面器、タオル数枚、電気アンカ、ポット、スポイト、綿棒などの用意を頼み、俺は龍彦と協力して、不慣れながら猫達の世話を始めた。
 こんな小さな猫の世話なんて初めてだったが、俺には『もうひとりの俺』の知識で、この猫達にはどういう世話をする必要があるのかが、何となくわかった。
 湯につけて絞ったタオルで温めるように拭きがてら毛の汚れを落とし、電気アンカを敷いたタオルにうつ伏せに乗せて、スポイトでミルクを飲ませる。ちなみにそのミルクはここへ来る途中に立ち寄った店で買ってきた、ペット用の粉ミルクだ。最初元気がなく飲みの悪かった白毛の猫も、身体が温まるにつれ少しずつ自分から口をつけてくるようになったので、俺はひとまず安心した。


 下の世話まで一通り終わって猫達が無事に眠入ると、俺達は世話に使った道具の散らかる部屋でほっと息をついた。窓際のベッドにもたれる龍彦はハイレイヤーの短髪をかき上げ、左手の壁に背を預けている俺に話す。
「……しかしこりゃ、面倒みんの相当大変だな。まあ『猫の事に関して』、お前が放置できるわけないから仕方ないが……」
「度々手間かけて悪い。それに関わる事は、お前にしか話せないからな」
 そう言うと、俺の事情を唯一知る龍彦はふっと笑みを見せた。その後、ミルクでいっぱいになった小さなお腹を上下させて寄り添い眠る子猫達に、目を移す。
「……で、どうするつもりだ。俺等は昼間学校があるし、二時間おきにミルクとかそんなマメな世話はとても続けられないだろ」
「……そうだな」
 俺も、その事は考えていた。親猫や引き取り手を捜そうと思うと、その間、面倒をみてくれる誰かが必要になる。
 軽く横に流したルーズな前髪を指先でいじるのは、考え事をする時の俺の癖。言葉を続ける。
「一時預かりを頼める先は、なくもないが……」
「当てがあるのか?」
 少しだけ前に乗り出す龍彦に、心当たりを思い浮かべながら、俺は答えた。
「――『コクミツ』としてなら」



前の項へ戻る 次の項へ進む ★ くろねこ風紀録・目次 小説一覧