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 あまりにも長く稼動し続けたせいで、アイオルは機械でありながら、時間の経過に対して相対的な感覚を優位に持ってしまっていました。起動してから現在までに繰った星霜の中では、もはや一日も一年も変わらなく感じるのです。
 自分の噂が忘れ去られるまでと考え、地下に没した遠い記憶の領域に隠れ住み、電波が届かないままとうに壊れた受信箱を胸にうずくまって、彼は一体、どのくらいの時をやり過ごしたでしょうか。
 気がつけば地下も地上も、とても静かになっていました。静か過ぎて自分の胸騒ぎの音が聞こえる気さえしたので、アイオルは這い出し、外の様子を見に行く事にしました。
 太陽の出迎えがない地上へ帰った時、今日という日も人の歴史も、寒々とした夜に入ったのだと悟ります。アイオルが隠れている間に、そこには誰もいなくなっていました。
 無機物も有機物もいっしょくたに薙ぎ払われ溶けただれたその惨憺たる様は、滅びの時の歌に描写されている世の姿と同じ。それを前にして、彼から手向けられる歌はありませんでした。これは、心より湧いた虫が心を喰い散らかした情景。そう思うと、そもそもの心を今亡き人らにもたらしたのは、歌だったからです。
 カーネリアが人の瞳に灯していったものは、災禍の火種になる定めだったのでしょうか。アイオルは、彼女と自分のこれまでを全否定する考えを振り切ろうとして、駆け出しました。そして探しました。カーネリアが言っていた、行く末の希望を。自分にとっての光を。
 どこまで行っても腐れた瓦礫と土と水ばかりの地に足をとられながら何日も駆け続ける最中、地球へ近づいた渡り星は、望遠鏡なしでも長く末広がる光の尾が見て取れるまでになり、しばしの夜に、いつもと趣の違う星空を提供しました。
 影響は、ただそれだけでした。
 渡り星は本当に、人々が予測していたような害のあるものだったのでしょうか。接近するより前に、地球には大気にも大地にも人自身の撒き散らした毒気が満ち、命という命が根こそぎさらわれてしまったので、真相は分からないままです。
 
 やがてアイオルがへたり込んだところは、カーネリアを埋めた丘でした。咲き誇っていた菫の代わりに丘を覆っているのは灰と化した骸ばかりで、当時の美しさなど見る影もありません。
 辺りの毒気は、生物でないアイオルには障りないはずでしたが、突然丘の頂を手で掻きむしるみたく堀り始めた彼の様相は、それにあてられて狂ってしまったかと思わせるほど鬼気迫っていました。
 彼女が、出てくるわけがありません。気が済むまでひたすら掘った後、アイオルはぽっかりとした虚しい穴から顔を上げました。カーネリアを埋めた時にはまだ知らなかった悲しみの感情が一万年と三千年越しに溢れ出て、彼は初めて、泣きました。
 空では北の天極が、琴に零れる大粒の星に寄り添っていました。
 
 あてもなく地の上や下をさまようアイオルは、時折、難を逃れて稼動を続ける機械人形に出会いました。彼らは世界中の同士と交信し、自分達に指示を出す人の再起を試みている事を彼に教えました。人を外部頭脳とする機械が導き出した、動機を得るための動機です。
 例え無機的な応答でも、その内容が悲劇を多分に含んでいても、アイオルにとって語らう相手がある事はとても慰めになりました。そしてある時、アイオルは人形達に自分の考えを述べました。地球を一個の生物と捉えるなら、身に熱を生む命達を失った状態は、死と同じではないかと。それに対し、彼らは反論しました。今の地球は死んでいるのではなく、『夜の刻』を眠っているに過ぎないと。その根拠として、僅かながら保護できた人や動植物を、『昼の刻』が訪れるまで毒にも時にも晒さないよう、大切に留めてある事を明かしました。
 
 再び人が栄える可能性を示唆され、次の世にこそカーネリアの言っていた希望があるかもしれないと思ったアイオルは、待つ事を決めました。
 しかし人が暮らせるくらい地球の毒気が抜けるまでには、まだまだ気の遠くなる時間を費やさなければなりません。アイオルは否応なく、それを思考する時間にあてる事となります。機械としての寿命を迎えた人形達が次々と壊れていってまた取り残され、なぜ自分だけ、身体も心も壊れる事を許されないのだろうと何度となく考えました。
 その理由を知るに至ったきっかけは、各地で大量の命とともに打ち捨てられていた兵器の残骸でした。一部材料に使われていたアメノワタが砕けて溶け、黒い液となって地に染み込み始めたのです。液は地下で滲み出てコライの地下道を流れ、合流を重ねて奥へ奥へと延々向かっていきます。アイオルはそれがどこまで行くのかを知ろうと辿り、元あった深間に溜まって元あった巨塊に戻るのを見届けました。
 アイオルとアメノワタとの意図しない同期は、巨塊に手を触れた事で起きました。受信したのは膨大な電子情報群で、彼は理屈抜きで、それが暗号化された宇宙の全容である事を理解します。
 長過ぎると恨めしくさえ思っていた自分の寿命をもってしても、完了させるには到底時間が足りないのは承知の上で、彼はその情報群を解読する処理にかけました。以後、彼は自分を取り巻く事の次第を中心に、いつとけて滴るか分からない水を待って一滴ずつ飲むような気長さで、知識を獲得していく事になります。



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