前の項へ戻る ★ 小説一覧



 義明にあまりにも相手にされなかったので、勇矢はその後、他の誰にもその不思議なラジオ放送についてを話す事はなかった。
 しかしそのデジタル時計でラジオを聴いていると、やはり時折ノイズが入り、あの奇妙な放送が流れてくるのだった。その度に勇矢は自分に降りかかるであろう不運を事前に知り、それを避ける事ができていた。
 勇矢はそのデジタル時計に長いストラップをつけ、首から下げていつでもどこでもラジオを聴きながら歩くようにした。
 ある時はつまづいて転ぶ事を、ある時は車に泥を跳ねられる事を、またある時は腐ったものを知らず食べて食あたりに遭う事を知り、それらを回避し続けた。
 このラジオさえあれば、自分はもう不運に見舞われる事はないだろう――。
 勇矢は、そう思っていた。
 しかしそんな中、彼はある事に気づく。


 夜、コンビニから出て歩道を歩いていると、いつものように聴いているラジオからノイズが混じり始めた。
 また例の放送か、と思いそれに耳を澄ます。

『――……二日、午後八時四十六分、米和市小川町笹原交差点で大学生、佐伯勇矢さんが、バイクにはねられ全治二ヶ月の重傷を――』

 ――午後八時四十六分……?
 勇矢はデジタル時計の表示を確認する。
 時刻は、二十時四十三分。
 今歩いている道の先には、笹原という名の大きな交差点。
 間もなくそこへ辿り着く。信号機の示す色は青。しかし勇矢はそれを渡らず、四十六分が何事もなく過ぎるまで待つ事にした。
 不意に、赤信号で停車しているバスの陰から飛び出してきた、信号無視の二人乗りバイク。それは猛スピードで交差点を突っ切り、あっという間に走り去って行った。
 それを見送り、あんなのにひかれたらたまったもんじゃないな……と思ってから、勇矢は、ふと考えた。
 ――そういえば何か、不運の度合いが最初の頃よりも明らかに大きくなってきているような……。それに、放送から不運が訪れるまでの時間も、だんだん短くなってきている――?


   ***


 降りかかる不運は、勇矢の抱いた不安の通り、日に日に加速するように度合いと頻度を増していっていた。
 毎度、それらひとつひとつを確実に回避する勇矢。しかし、次第に余裕がなくなっていく。
 車にひかれそうになる等は日常茶飯事となり、建設中のマンションの外壁が落ちてきて下敷きになりそうになったり、電車が入って来る直前の駅のホームから転落しそうになったりというのを寸前で避けるその様は、まさに命からがらといったところだった。
 たまりかねた勇矢は追い立てられるように義明の家へ駆け込み、今までの経過を彼に一気に打ち明けた。
「不運のくる頻度がどんどん上がってきてるし、避けるのももう難しくなってきてんだ。俺は一体どうすれば……!」
 アパートの狭い玄関口で息を弾ませながら、勇矢は涙目ですがるように、まくしたてた。
 それを聞き終えた義明は首を傾げ、半信半疑といった様子だったが、勇矢の必死な様相を見てぽつり話し始めた。
「……お前、こういう話知ってるか? 人生を長い目で見ると、幸運、不運のバランスが均等にとれているものなんだとよ」
 勇矢は目を丸くする。
「……バランス?」
「お前の話を聞く限りでは、不運を回避する度に次にふりかかる不運がでかくなってるだろ? 避けた分は次の不運に持ち越され、それが雪だるま式に大きくなって、まとめてお前の上に落ちようとしているんじゃないかと思うんだが。このまま一生、避け続けられればいいが……」
 勇矢はうつむいて力なく首を横に振る。
「……それは、とても無理だ……」
「じゃあ適当なところで、その不運を受けるしか……」
「駄目だ、この頃の放送では俺が『死亡した』とはっきり伝えている。受ければ死ぬ程の不運が、もう溜まっちまってんだよ……!」
 言いながら、勇矢はハッとイヤホンを入れている耳に手をやった。義明が眉根を寄せる。
「何だ、また例の放送か……?」
 耳を澄ます勇矢の顔が、徐々に青ざめていく。
「……火事……このアパートが、火事に……!」
「何!? ――あっ! やっべ、そういえば鍋がかけっ放しに……!」
 言い終わらないうちに振り向いてキッチンへ向けて駆け出す義明を、勇矢は靴を履いたまま上がり込んで追った。
 キッチンに飛び込むと、ガスコンロの上の片手鍋が赤く燃え上がっていた。壁を、黒く焦がし始めている。
「水、水!」
「消火器どこだ!?」
 血相を変えて騒ぎながら二人がかりで水と消火器を用い、消火にあたる。
 完全に火が消し止められると、泡まみれになったコンロの前で彼等は床にへたり込んだ。
「……マジ……なんだな、お前の話……」
 息を切らし、義明は勇矢の方を見た。
「……駄目だ、俺が側にいると、人を巻き込んじまう……!」
 勇矢は抱えていた空の消火器をドンと置いて立ち上がり、玄関に向かって走り出した。
「お、おい待てよ勇矢、何処へ……!」
 彼は義明に答えず、そのままアパートの部屋を出て行ってしまった。


 勇矢は乗りつけていたバイクで、街を駆けた。

『――……ハンドル操作を誤まり、中央分離帯に衝突して死亡――』

『――……転倒した後、後続車二台にひかれ、死亡――』

『――……居眠り運転のダンプカーに追突され、死亡――』

 勢いづいたように続々と入る、迫り来る不運を伝える放送。
 全神経を限界まで集中させてそれらを聴き取り、襲いかかる不運をかわしながら、勇矢は頭を巡らせた。先程の、義明の家での事を思い起こす。
 ――火事……。
 親父達は、火事で死んだ。もしかしたら、親父もこのラジオを使ってこんなふうに不運を回避していて、そのせいで……最後には逃れきれずに命を落としたのか……!?
 考えが様々に交錯する。
 ――街中は、人が多すぎて危険だ。とにかく誰も居ないところへ……!


 国道から山へ続く道へと逸れ、勇矢は人気のない坂道を登り続けた。空を覆う雲は低く重く垂れ、そこから落ち始めた大きな雨粒達が容赦なく勇矢の身体を叩き始めた。視界が悪くなる。放送に合わせてスリップしそうになるのを、勇矢は必死にハンドルを握って堪えた。

『――……カーブでハンドルを切り損ない、崖から転落して死亡――』

『――……対向車と正面衝突し、死亡――』

『――……下の川へ転落し、溺れて死亡――』

 尚も短くなり続ける、放送の間隔。最早通常のラジオ番組は全く聴かれない。
 そしてほの暗いトンネルに入ったところで、急にバイクの速度が落ち始めた。
「……ガス欠!?」
 計器を見て愕然とした、刹那。
 下から突き上げるような衝撃が来た。
 それに伴い、上方から崩れ始めるトンネルの壁面。

『――……落盤事故で、死亡――』

 最後に聴こえた、放送。
 割れた壁から溢れるように流れ出す土砂をスローモーションのように瞳に映しながら、勇矢は、呆然と心の中で呟いた。
 ――これは……とても避けられないな――。
 そのまま、彼はコンクリートの壁と土砂に呑まれた。


   ***


 瞼を透けてくる光が、沁みる。
 ゆっくりと、勇矢はその目を開けてみた。
「おー、起きたか?」
 自分を覗き込んできた彼を見て、勇矢は乾いた唇を動かした。
「……よし、あき……?」
 義明が勇矢の枕元にあるナースコールを押すと、ほどなくして医師と看護士が病室に入ってきた。
 覚め切らないあやふやな頭のままいろいろ診察を受け、医師達が去った後、勇矢は額に手を当て、横に立つ義明に尋ねた。
「俺……死ななかった……?」
「らしいな」
「なんで……」
 勇矢は、今自分が生きてここにいる事が不思議でならなかった。
「落ちたコンクリートの壁と壁との隙間に、うまく入り込んでたらしいよ、お前。奇跡的に軽傷ですんで、良かったな」
「……放送では、確かに死亡って言ってたのに……」
 義明はパイプ椅子をきしりと軋ませて座り、腕を組む。
「……俺、考えたんだけどよ。今回お前が助かったのはラッキー……、つまり『幸運』があったからだ」
「……幸運……?」
「ほら、話したろ? 人生を長い目で見ると幸運、不運のバランスが均等にとれているもんだって。お前は、昔っから運がねえ方だったからな。その不運の分だけ蓄積していた幸運が、今回膨れ上がった不運を、一気に相殺したんじゃねえかな……」
 回らない頭で、勇矢はそれを聞いていた。
 ――納得できたような、よくわからないような……。
「……あの時計は?」
 聞かれ、義明はズボンのポケットから、勇矢が時計につけていたストラップを取り出して見せた。
「本体はものの見事に木っ端微塵だったらしい。もうこれしか残ってねえよ」
 勇矢は手を出して伸ばし、それを受け取る。
 ――壊れて、なくなったのか……。
 親父は、あれをどこから入手したのだろう。
 あの時計は、一体何だったんだ――。
 土で汚れたそのストラップを見つめながら、勇矢はしばしぼんやりと考えていた。


   ***


 それから、三日後の朝。
 勇矢は義明と共に、また図書館に向けて道を歩いていた。
 かすり傷と打撲のみで他に検査で異常の見られなかった彼は、一日入院しただけですぐに家に帰る事が許されたのだった。
「しかし、運が悪かったのか良かったのか……。全くややこしい話だな」
「不幸中の幸い、の極みを体験した気がする」
 そう話す勇矢の頭に突如、くらわされた衝撃。覚えのあるそれにめまいを感じて頭を抱え、彼はしゃがみ込んで呻いた。
 てんてんと道を弾んでいくボール。
 団地前の公園から走り出てきた子どもが、気まずそうにおそるおそる歩み寄ってきた。前と同じ子だ。
「ご、ごめんなさい……」
「ああ、このお兄さん割と頑丈だから、大丈夫だよ。でもまあ……気をつけてな」
 その子がぺこりと深く頭を下げてから去ると、義明はしゃがみ込んだままの勇矢を見下ろして呆れ気味に言った。
「……フツー、そう何度も当たんねーぜ?」
 勇矢は頭を押さえながら立ち上がり、義明の方を向いた。
「……だけどまあ、こうやって適度に不運を受けとけば、またいつか幸運の方も巡ってくる……よな?」
「できればどっちも溜め込まずに、小分けで穏やかに来て欲しいもんだな」
「はは、違いねえ」
 互いに苦笑し、彼等はまたその足を進め始めた。


 不運予報/終 (初掲載:2006/01/28)



前の項へ戻る ★ 小説一覧