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   ペンのマストと紙の帆と   ※現代パロ(コメディ)です。→続き  
 
 
 スケール七で確認できる、ほどほどに大きな市街地の一角。そこのビルを本社とする出版社の、ある編集室に響いた叫びは悲鳴に近かった。
「次号の原稿を、まだ誰一人提出できてないってどういう事ですか! 締め切りまでの時間、皆さん分かってます!?」
 編集員のミゲルは、一向に記事の原稿が届かない机を叩いて立ち上がる。彼が携わるのは、月刊誌『ウワサバルーン』。世界各地に飛び交う噂を独自に収集し、紹介する雑誌である。噂の種類毎に担当記者がおり、各自毎号受け持つコーナーの取材と執筆を行っているのだが、クセの強い雑誌に集まったアクの強い記者達に、ミゲルは常時振り回されていた。
「ちゃんと全員、時間までに書き上げてくれると信じてますからね……。白いページを全世界に流して、『信じた先は、滝でした』なんて見出しをつけるのは嫌ですからね……!」
 ミゲルの震え声に、応接テーブルの方から返答したのはアブトゥ記者。
「私の原稿は既に出来ている。ただペレスが納得せず、提出を認めないのだ」
 テーブルには、アブトゥの持って来た紙の原稿が広げ置かれている。それを挟んで彼女の対面に座るのは、ペレス記者だ。
「それは私が言いたい。君がこのテーマの真相について断定で締めているから、私は分析のコラムを出せなくなっているんだ。しかもこんな非科学的な根拠では――」
「私はありのままを伝えているだけだ。それに何故毎回、私の記事に対してだけ他の倍の紙面を割いて否定的な論を展開するのだ。そもそもお前は――」
 またですか……とミゲルは頭を抱える。心霊及び超常現象を担当するアブトゥと、誌内で取り上げる謎の一切の科学的分析を担当するペレス。彼等がこうして締め切り前に起こす衝突は、最早お決まりの風景となっていた。互いに主張を譲らず紙面にまで持ち込まれるガチな火花が、しかし一部マニアの間で予想外の人気を博して雑誌の売り上げを支えているとは、二人の仲裁に毎度苦慮する編集者にしてみれば皮肉な事である。
 次に、ミゲルは隣の机の島に目を向ける。そこのいちばん端の席では、バルボサ記者が突っ伏して寝ていた。
「バルボサ記者! 仮眠してる間に締め切りが過ぎてしまいますよ!?」
 呼ばれた彼は、とろとろと顔を上げて返事する。
「んー寝てませんよー、仕事してるんです」
「どこがですかっ、その紙枕、まっさらで随分と寝心地良さそうですけど!?」
 突っ込まれたバルボサは仕方なさそうに、膝掛けの下で温めていたものを取り出して見せた。
「えーとですね、このコが孵化したら記事にするんですよ。だから今は、このタマゴを温めるのが仕事なんです。もうすぐだと信じてるんですけどネー」
 彼の担当は、未確認生物や珍獣の類。ここ暫くは、取材先から持ち帰った謎の球形物を首っ引きで世話しているようである。
「締め切りまでに孵る保証っ……孵ったとしても書く時間っ……そもそもただの石ころの可能性っ……!」
 言いたい事がわんさか生まれるも、大事そうにそれを撫でる彼の姿に、ミゲルは何を言っても無駄だと悟る。
 バルボサの隣の席から、バルディ記者が口を挟む。
「そうカッカするなミゲル、信じないと記事にならない方が確定するぞ」
「貴方も! 南米に墜落したっていう飛行物体の記事はどうなったんですか!?」
 バルディは地球外から飛来する未確認物体及び生命体の担当である。顔の広さから独自の情報網を駆使し、異星人による侵略から地球を防衛していて常に忙しい――とは本人の談。締め切りに追われてミゲルにせっつかれる度、そう茶化すのである。
「墜落というか、あれはかなりヤバいやつで向こうの政府と連携して撃墜……、ああ、まあ、その飛行物体の積荷だったタコをパエリアにした話ならすぐにでも書けるぜ」
 時折真顔で濁される言葉から、もしや冗談ではないのかも、と思う瞬間がない事もなく、ミゲルはごくりと唾を飲む。
「積荷だったタコって、ひょっとして……」
 してはいけない想像を、ロハス記者の豪快な笑いが吹っ飛ばす。
「そいつぁすげえな、地中海産ならぬ宇宙海産のタコか! 呼んでくれたら食いに行ったぞ」
 バルディの向かいの席で、幻の食材担当のロハスは見慣れない色の調理品をつまみつつ、コップ片手にメモを取っている。ミゲルが不審げに問う。
「……そのコップの飲み物、勿論『水』、ですよね……?」
「当然だろう。俺にとっての『命の水』だ」
 急激に突っ込む気力が損なわれ、ミゲルはそうですか、とだけ返す。そんなロハスの隣には、ソリスがいる。真面目に黙々と書き物をしている様子にミゲルは一瞬喜ぶも、彼がペンを走らせている紙がどう見ても便箋で、仕事用のノートPCがその下敷きになっている事に気づきげんなりする。机の端に積まれた封筒を指して、ミゲルは尋ねる。
「ソリス記者……また文通相手が増えました?」
「ああ、前回の取材先で三人な」
 ソリスは遺跡や用途不明の文明品等を担当しているのだが、人柄が良いため取材に行く先々で取り分け子供に好かれやすく、世界中に文通相手が出来た結果、最近は記事の入稿が遅れがちになっている。
「文通相手も、私の文章の読者だからな。大切にしなければ」
「それは、分かりますけど……仕事の方もよろしくお願いしますよ……?」
 見る間に積まれていく文字と気持ちが詰まった便箋の束に、ミゲルはあれが記事の原稿だったらいいのに、と溜息を吐く。
 そこへ新たに一人が帰還し、編集室内に快活な声を響かせた。
「ただいまー! 原稿データとお土産持って来たわよ」
 彼女は海洋探索担当のマリア記者。今回は太平洋沖の沈没船まで、潜水取材に出ていたのだった。腕に抱えた土産物の箱や袋の数々を、未だ原稿ひとつなくすっきり空いていたミゲルの机にドサドサと置く。
「もーマリア記者、毎回締め切りギリギリまで海を満喫して来ないでくださいよ! まるでバカンス帰りじゃないですか」
「ごめんなさいね。イルカと仲良くなって、帰ろうにも名残惜しくなっちゃって」
 それにすかさず反応したのはバルボサ。
「イルカなら、仕方ありませんねー」
 ねー、と意気投合する二人はとても微笑ましいが、しかし今のミゲルにはそれを見て微笑む余裕などない。
「こっちは優雅に泳ぐどころかアップアップなんですからねっ」
「まあまあ、これでも食べて一息つきましょうよ」
 そう言ってマリアは土産物の中から箱のひとつを取り、開けてみせた。中には丸くて愛らしいチョコレートが並んでいる。差し出されたミゲルは、リゾート地の太陽みたいなマリアの笑顔についほだされ、むくれながらも一粒摘んで口に放り込む。それが、口腔内を一瞬にして火の洞窟にするなどとは思いもせずに――。言葉にならない声を発してミゲルは給湯室へ駆け込み、水道の水をガバガバと流し込んで鎮火を試みる。
 程なくして涙目で駆け戻ってきたミゲルは、マリアとそのとんでもない土産物に詰め寄った。
「な、なななナンなんですかコレは!? 舌がただれるほど甘くて喉が焼けるほど辛いんですけど!?」
「これね、『メタチョコレート』。チョコレートとトウガラシの三次加工品なんだって。刺激的でしょう?」
「刺激的どころか劇物です!」
 聞いていたロハスが興味を示す。
「へぇ面白いじゃないか。ミゲル、記事にするから忘れないうちに食レポ頼むぜ。俺は食わねえから」
 料理の注文でも取るかのような涼しい所作でメモを取り始めるロハスに、ミゲルは熱く捲し立てる。
「覚えなんかもう弾け飛んじゃいましたよ! 火薬だったんじゃないですかね!? というか書くなら自分で食べて確かめてくださいよ!」
 そんな騒々しさを余所に、ふとソリスが別の事を振る。
「そういえば、ゴメスはまだ帰らないのか? 暫く見ないが」
 バルディは壁のカレンダーを見て、話題のゴメス記者と最後に言葉を交わした日を確認する。
「確かアフリカ大陸の洞窟巡りに行くと言って、出たっきりだな。遭難したか」
 ミゲルが青ざめる。
「えーっまたですか!? どうしましょう、ゴメス記者の連載に穴が空いてしまいます!」
「心配するのはそこじゃないでしょ! でも、彼なら何があっても絶対帰ってくるだろうって、つい思っちゃうのよねえ」
「その通りだ!」
 皆を代表するマリアの意見に対し、その信頼を見事体現する存在が編集室に入って来た。ミゲルは目を輝かせる。
「ゴメス記者! 無事で良かった……!」
 秘境探索担当記者のゴメスは見た目こそズタボロながら、生命力そのもののような笑い声で受ける心配を一掃した。
「密林で迷ってしまってな、帰還は遅れたが俺は大丈夫だ」
「原稿の方も、大丈夫でしょうか……?」
「おお、そうだったな!」
 おずおずと尋ねるミゲルに、ゴメスは床にどかりと置いた鞄から記者の神器を取り出してみせた。
「途中で筆記用具を駄目にしてしまってな、全て一から作り直したんだ。ペンは鳥の羽を抜き、インクは石の容器に木の汁を溜め、紙は圧し伸ばした草を乾燥させて再現するところまで出来たぞ」
 無骨だがしっかり実用出来るレベルのそれらに場の記者達が感心する中、ミゲルだけが表情を曇らせて聞く。
「で、肝心の記事は作成出来たんです……?」
「これからだ!」
「意味ないじゃないですかーーー!!」
 
 絶える事のない噂と謎を追い続ける月刊誌『ウワサバルーン』。最大の謎は、この雑誌が毎月欠かさず刊行出来ている事である。
 
 
 ペンのマストと紙の帆と/終 (初掲載:2017/09/28)



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