前の項へ戻る 次の項へ進む ★ めいそう四季・目次 小説一覧


   秋 〜黄昏公園〜


 理由を付けられないものも、答えの出せないものも、世の中にはたくさんある。
 だからあれこれ考えたって仕方がない。
 理由を見つけたと思っても、答えを出せたと感じても、それは熱にうかされて見た、一時の幻だ。
 世にある全てを、例えて言うなら砂糖菓子。
 束の間の甘い夢を見せ合い、いずれ跡形もなく消えてしまうものばかり。
 それでも、私たちは不確かで曖昧なそれらを、ただひたすら食べ続けるしかない。
 それで、空腹を満たせなかったとしても。

 新しい情報がとめどなく溢れ出してくる、テレビ、インターネットに繋いだパソコン。
 実際に目にしたわけでもない事件や事故に、情景に、人間達に向かって一人、こうではない、ああではないと文句を言い、ごろごろ寝転がっているだけの自分を棚に上げて、日々わかったふうな御託を並べ続ける私は、どこにでもいるようなつまらない主婦。子どもはまだない。
 自身の生活については考える事さえやめてしまっている分、自分に関係の薄いものを使って、うさを晴らしてしまうのかもしれない。
 そんな平面的な虚像の世界から私を引っ剥がし、毎日外へ連れ出してくれるのは、飼っている柴犬の「竜太」だ。犬の散歩は、欠かさず行かなくてはならないものだからね。竜太がいなければ、私は間違いなくひきこもり主婦になっていた事だろう。
 今日も私の側へやって来て、熱い眼差しで散歩に行こうと訴えかけてくる竜太。頭を撫でてやり、寝そべってぼんやり眺めていたノートパソコンをぱたんと閉じ、つけっ放しにしていたテレビの電源をリモコンで切って私は立ち上がった。

 残暑はすっかり去り、風が少し肌寒い十月半ば。私は竜太と共に、車の通りの少ない住宅街の中のいつもの散歩道を、のんびりと歩く。夕暮れ空に浮かぶすじ雲や、民家の塀からはみ出した柿の木の実などに、小さな季節の移り変わりを感じながら。
 ……本当は、生きている間に出会う何に対しても、理由を求めたい。答えを探したい。
 不確かなもの達しか心の支えにできず生きていく中で、そう考えてしまうのは仕方のない事かもしれない。
 この先、私は自分の中に、一体何を残せるんだろう――?
 そんな事を漠然と考えてぼーっとしていた時、不意に竜太が、ぐいとリードを引っ張った。いつもは私の歩くペースに合わせて歩き、引っ張る事などしないのに。そして油断して軽くしか握っていなかったリードの先は、するりと私の手から抜けた。
 しまった――!
 わき目もふらず、竜太はいつもの道とは別の方向へと走っていく。
 私は竜太の名を呼びながら必死に追いかけた。でも私のなまった足が犬のそれに追いつけるはずもなく、その距離はどんどん開いていく。
 くるりと角を右に曲がり、竜太の姿が見えなくなる。私はますます焦った。あの角の先にはたしか月極め駐車場があって、そこを抜けると交通量の多い国道だ。竜太に何かあったら……。
 悪い想像を振り切りながら、私は竜太よりかなり遅れてやっと辿り着いた、その角を曲がる。
 そして――。呆気にとられた。
 そこには、駐車場ではなく公園が広がっていた。周囲にはきれいに剪定された常緑低木が垣根を作り、中央に植えられた大きな銀杏の木は、黄色く染まった葉をはらはらと落として地面に絨毯を敷いている。
 こんな公園、あったっけ……?
 どこか懐かしい感じのするその場所に一瞬ぼんやりしたが、私はハッと竜太の事を思い出す。そしてすぐに公園内を見回した。
 そこで、右側にある木のベンチに腰掛けた老人と、その人の前にお座りしておとなしく撫でられている、竜太の姿を見つけた。
 私は慌てて駆け寄った。
「すみません! その子うちの子で……」
 ハンチング帽をかぶったその老人は、竜太を撫でながら私の方に顔を向けた。その人にリードが握られている事を確認して、私はほっとした。
「そうかね、あんたんちの子かね。ええ犬だなあ」
 竜太は目を細めて気持ちよさそうにしている。人の気も知らないで、と竜太にはむっとしつつ、でも老人に誉められて、私はちょっと気分を良くした。息を整えながらお礼を言う。
「あの、ありがとうございました……。犬、お好きなんですね」
「ああ、わしは動物が好きでな……。昔はいろんなもんを、ようさん飼っとったよ。犬の他にも、チャボ、亀、カナリヤ、九官鳥……」
 何だか、似たような話を聞いた事がある。
 それは祖父の話だった。私の物心つく前に死んでしまい、顔も殆ど覚えていないけれど、私は母から、祖父が動物好きだったからたくさんの動物に囲まれて育ったという話をよく聞かされていた。
「歳とってからは、ずっと一人で暮らしとるんさ。最後まで面倒みる自信が、なくなったでな」
 そう穏やかに語る老人。その内容とはうらはらに、表情に陰りは見られない。
「たくさんいたのに今は一人だと、寂しくないですか……?」
 言ってから、私は何て無神経でつまらない事を聞いてしまったんだろうと後悔した。
 しかし老人は嫌な顔ひとつせず、変わらぬ口調で答えた。
「そうさなあ……。ようさん世話して、みーんなおらんようになってしもうたけども……。好きなもんと好きなように暮らせた思い出だけで、今はもう十分や」
 もう、十分――。
 自分の心の中にだけある、古き良き思い出。そこに、小難しい理由などはないのだろう。
 理由が付けられなければ、答えにならなければ、後には何も残らない――。私は心のどこかで、そう決めつけていた。
 そして竜太に笑いかけているその老人の横顔を見たら、私も、自然に思えた。
 ああ、満たされるって、こういう事なのかな――。
「さ、もう行きな……」
 そう言うと、老人は持っていた竜太のリードを放してしまった。
 私はその老人の行為にエッと驚く。竜太は老人の言うことを聞くように、来た方とは反対側の公園の出入り口へと走っていく。それを追って、また駆け出す私。そして公園を出てすぐの国道脇の歩道を左に曲がると、そこに、今度は私を待っていたかのように竜太がこちらを向いて立っていた。
 急いでそのリードの先を拾い、私は胸を撫で下ろした。
 勝手に走っていってはだめ、と竜太の鼻先を小突いた後、私はあの公園と老人が気になり、また角のところまで戻ってみた。
 しかし、その先に公園はなく――。そこにはただ、元の無機質なアスファルトの駐車場が広がるばかりだった。


 黄昏公園/終 (初掲載:2005/08/02)



前の項へ戻る 次の項へ進む ★ めいそう四季・目次 小説一覧