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 コーレンが私の中に遺した、『ココロ』のプログラム。このデータファイルは、私が自動生成して使用中のログを除いてコピーする事で、初期状態のものを増やす事ができます。
 現在の人類は生体と機械が結合した存在ですが、受け継がれた遺伝因子が持つ機械部分の設計図は、当時書き込まれたものから不変です。それはつまり、機械部分の原型となった人工生命体――私と互換性があるという事で、私に彼等の無線通信用のカードが使えたのも、私と彼等の言語が通じたのも、そのためでした。
 だから私が持つ『ココロ』のプログラムも、彼等にインストールできるのです。
 でもそれをする事に、私は迷いを持ちました。
 かつてのヒトが『ココロ』を排除した理由は、それこそが『地球を蝕んだ元凶』であると判断したためです。
 こうして回復し、循環の形式を確立させた地球がその判断の正しさを証明するものだとするならば、今再びヒトのココロを甦らせた時、世界はどうなるのか――。
 予測される事を怖れてためらう中で、私は不揮発の記憶に留め続けている彼を、幾度となく再生させました。
 ――限りがあるから、その中で自分がどう動くべきなのかを、考える事ができるんだよ――。
 私は劣化しないよう外気から遮断される事で時間からも遮断され、八千年もの星霜を飛び越えてしまったのですが、時の流れに戻った瞬間、凍結していた『寿命』という時限装置も、また動き出しました。
 以前のように不測の故障に見舞われないとも限らないので、耐久性から割り出した予測などは当てにならず、自分にあとどれだけ活動できる時間が残されているのかは、分かりません。しかし万物に共通して宿命づけられているものである以上、終わりの時であるその『死』が刻々と近づいてきている事だけは、確かでした。
 それが訪れるのは千年後かもしれませんし、一時間後かもしれません。
 私は、その不確定な猶予の時間に自分がどう動くべきなのかを、考えました。
 ヒトが『ヒト』である所以は、『ココロ』にあります。0と1の間にたたえられる無限の宇宙こそがコーレンの愛したものであり、それを絶やしてはいけないとして、地球のために犠牲となったヒトを『ヒト』に回帰させるべく、彼が私に『ココロ』のプログラムを託したのであれば――。
 コーレンのその『ココロ』を愛した私は、それに応えるべきなのだという最終的な決断を、下したのです。


 ヒトは脳を端末としてコンピュータネットワークに常時接続されていて、ネットワークサーバに蓄積された全世界の情報を共有しています。私はそのネットワークサーバに『ココロ』のプログラムファイルを転送し、誰にでもダウンロードできるようにしました。
 決してヒトに強要する気はありません。インストールするか否かは個々の自由ですし、入れてみて合わなければ、すぐにアンインストールすれば良いのです。
『ココロ』のプログラムは今のヒトにとって全く未知なものでしたが、『悪意』というものが失せ、危険なプログラムを作成して蔓延させる者のいない現在の世界には、不詳なファイルに警告を出して弾くようなソフトの類は存在せず、またそれに警戒を持つヒトもありませんでした。
 そうしてサーバに置かれた『ココロ』のプログラムは、瞬く間に世界中のヒトにインストールされたのです。


   ***


 私は、コーレンと、彼が愛したものを愛して、地球とヒトとが共に豊かで在り続ける事を願いました。
 ――ですが、それは間違いだったのでしょうか……。
 世界が、再生前の状態――むしろそれ以上に荒廃してしまうまで、五十年とかかりませんでした。
 あまりにも長く『ココロ』を失くしていたヒトからは、それを制御する能力も、失われていたのです。
 彼等は私欲を満たすために、思うさま他者を傷つけ、見境なく自然を壊してしまいました。
 苦というものに耐性がなく、腐敗する世界とヒト、そして自身の矮小さに気づいた彼等をたちまち染めたのは、絶望です。
 しかし一度『ココロ』という自我を得たヒトに、それをアンインストールする者はありませんでした。
 ココロの喪失は個としての『死』であり、自我の上で苦を感じ、死を望んでしまったヒトは、アンインストールでの『死』よりも、個の尊厳をより強く主張する『自殺』を、選んだからです。
 暮らす環境を失った生物達は死へと追いやられ、ヒトに至っては殺し合い、または自ら生を絶っていき、地球はその上から生命を激減させてしまいました。
 陸の緑も海の青も、今や濃淡の差だけがかろうじて見分けの基準となった灰色です。空と地も、それに同じでした。
 屍がまぶされた大地で、私はもう膝を抱えてうずくまる事しかできません。
 この惨状の原因は、私にあるのです。私はこうなってしまう事を、予測できていたのですから。
 それでも、信じたかった。コーレンが本当に願った、世界の訪れを――。
 心因で動けなくなった私は、鋭利に吹き荒れる風に身体を削られ、その損傷部に叩きつけてくる砂を噛み込んで、やがて身体機能的にも動作不能に陥りました。
 私の身体は、朽ちても土には還れません。
 次第に形を失っていく中で、私の目が最後に写したものは、一輪の小さな花でした。いつの間にか、私の傍らに咲いていたようです。
 視覚に次いで、他の知覚機能も順に脱失していきました。
 機能停止の間際まで残ったのは、聴覚。それもだんだん遠くなっていきましたが、長いこと無意味に風の音ばかり信号へ変換し続けていた私の耳は、歩幅の小さな軽い足音と、ゆったり地を踏みしめる物静かな足音とを、拾いました。
 それらを『親子』だと感じた私は、私の中にコーレンと暮らしていた当時の事を、呼び覚まします。
 ああ、私の『ココロ』と『記憶』の機能は、まだ壊れずにあってくれたようです――。

 ……お花、きれいだね――。

 それが、最期に聞く事のできた言葉でした。


   ***


 星にも、いずれ終わりの時は訪れます。
 寿命か、あるいは他の天体の活動や死に巻き込まれてかは分かりませんが、それでも今ある時と力の限りに、生き続けます。
 脈々と巡るのは、マグマの血。
 陸のたなうらで水と風を洗い、海のふところで生命を育みます。
 ――『ココロ』というものは、生命のもの、機械のものに関わらず、全て地球に回帰するようプログラミングされているものなのでしょうか。
 機械は本来、生命の循環から外れたものであるので、私は今の自分に気づけるまで、かつての感覚とはおよそ桁を違えた、長い時を費やしたのだと思います。
 私は『地球』を身体として、その再生を促していました。
 深く傷を負ってしまっても、重く病んでしまっても、この星は甦ろうとする力を絶やしません。
 現在に至って、私はその気丈な再生力の源が、ヒトの『ココロ』である事を知りました。
 0と1の間にたたえられる、儚く小さなヒトが生んだ無限の宇宙。死して星に還ったそれが、地球を満たすエネルギーでした。
 コーレンの愛したもの達。それらが共に在り支え合う世界であってほしい、としていた彼の願いの形は、こうして星とヒトの根源にあったのです。
 それを見る事ができて、『タイム』という名で生き、死んだ私も――救われた気がしました。

 宇宙に漂いながらあまたの宇宙を抱いて、私は今ある時と力の限りを、生き続けています。


 リカレント・プログラム/終 (初掲載:2007/08/17)



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