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 私は機械なので『眠り』を知りませんが、電源が落とされ、それが再び入れられるまでに生じる無――0の意識は、その眠りに相当するものなのだと思います。
 あの時に、私は死んだはずでした。
 明けない夜の眠りについたにも関わらず、しかし私は、また目覚めたのです。
 更に不可解な事に、開いた両目が写したものを、私は認識できるようになっていました。壊れたはずであったのに直ったのは、視覚だけではありません。今は全ての知覚機能が正常に働き、身体動作は出力命令通りに制御する事ができます。
 目覚めてすぐには、現状を把握できませんでした。
 側にいたはずのコーレンを探しましたが、そこに彼の姿は見当たりません。代わりに私を囲んでいたのは、見も知らないヒト達ばかりです。
 この場所も、元いたコーレンの家とは違いました。天井も壁も床も、まるで装飾のない平滑な灰色。私はその中央に設置された台の上に、載せられていました。
 周囲の彼等に尋ねたところ、驚くべき事に、私は地下遺跡から発掘されたというのです。酸化を防止するガスが高圧で充填された耐食金属の棺に、密閉されていたそうです。
 保存されていた事実を知り、新たな疑問が発生します。
 誰が何のために、そんな事をしたのか。
 意識を0にしている間に、どれ程の時間が経過したのか――。
 何もかもが不明な状況下で私が最も不自然に感じたのは、今ここにいるヒト達の、人間味の無さでした。
 流暢な言葉にはまるで抑揚がなく、無駄のない動作には温度を感じられません。
 感情をそっくり抜き取られたような様相に、私は彼等を『ヒト』ではなく、『人工生命体』なのかもしれないとすら思いました。
 私を発掘したという彼等は、決して私を拘束しませんでした。たまたま掘り当てた棺の、内容物。彼等は調査により直接的な危険のないものである事が証明されたその私を、興味の対象から外したようです。
 自由を得て尚この場に留まり、私は彼等に数種の質問を投げかけました。その事で私の求めが『知る事』にあると認めた彼等がくれたのは、一センチ四方のカード一枚。それはコンピュータネットワークの接続に用いられる、無線通信用カードでした。


 そのカードを手に外へ出た私は、やはり視覚機能は障害をきたしたままなのだろうかと、自分の両目が結ぶ像を疑いました。
 やせ衰えて汚れ、種を腐らせていたあの土が、瑞々しい緑を溢れさせているのです。灼熱の針を無尽蔵に降らせ生物を傷つけていた太陽は、悪鬼の面相から一転、慈母の微笑みをたたえて地上に光をもたらしています。
 よどみのない清らかな空気に体内の機器を洗浄されながら駆けていった先の海は、貴石が溶け出してできたのかと思われるほど輝き、透き通っていました。
 多種多様な生物達が伸び伸びと、陸の緑を泳ぎ、海の青を翔けていきます。
 その世界を前にして、電子頭脳が情報と思考の処理による負荷で重くなり、私はしばらく、立ち尽くすばかりとなってしまいました。
 死にかけていた地球に、一体何が起こったのでしょうか。


 カードを耳の後ろにある挿入口にセットし、自身をコンピュータネットワークに接続して、私はネットワークサーバに蓄積されている膨大な情報から今の世界についてとその経緯を、調べ始めました。その中で、世界が大きく変化した鍵が『ヒトの改革』にあった事を知ります。
 コーレンが行なっていた、ヒトに機械を組み込む研究。それは、壮大な改革計画の一環でした。
 ヒトに機械を組み込む、と聞いた私は一人一人に機械化の手術を施すのだと考えていましたが実際は違い、ヒトゲノムの塩基配列を生殖細胞の時点から操作し、誕生の前からヒトの新個体に機械的特長を付加させる、という形式がとられていました。
 つまり遺伝子レベルから身体構造の一部として機械の情報がコーディングされ、それと結合した存在が、今の『ヒト』という事になります。
 起源から改変され、機械と生命体の特徴を併せ持った新しいヒトは、生殖を繰り返し、機械設計の書き込まれた遺伝因子を有するヒトゲノムを後世に伝えて、人類に浸透させていきました。
 そこにはヒトの内的な個性である『ココロ』を衰退させていく因子も含まれていたのですが、それもまた、ヒトと地球を改革する計画の上で意図された事でした。
 今のヒトにとって知覚は体内の機械装置を調節する動機づけの役割しか持たず、見るもの、聞くもの、触れるものに対し、彼等はココロを動かしません。もはや動かすココロ自体がない、と言ったほうが正しいでしょう。
 自らを『地球』という生命の細胞として位置づけたヒトは、自分達の持つ『ココロ』という成分を、地球を病ませた『有害なもの』と見なしました。それに納得するため、『ココロの破棄』こそが煩悩からの解脱であると自身に説き、本当にそのココロを棄ててしまったのです。
 欲を生む心がなければ、いかなる争い事も起こりません。私的な損得の勘定をする事がなくなるので、埋め込まれた符号に忠実に従って、環境の改善と保持に身を尽くせます。
 能力も、機械部分の性能は皆一様ですから、状況に適応するソフトのインストールさえすれば割り振られた仕事を無理も無駄もなくこなせます。
 そうして生に苦を感じる事なく、また死に怖れを抱く事もないまま、ヒトは何の未練も残さずにその平坦な生を終えていくのです。『歓び』などというものは解脱の代価として支払われ、今やあった事すらも忘却されています。
 幸せさえ知らなければ、不幸せも知らずに過ごせる。
 それが、地球と自分達の未来のために、ヒトが最終的に導き出した答えだったのです。
 改革計画が始動し、それが地球環境の再生という形で完了した現在に至るまで――。私が機能を停止して再び起動するまでの、ヒトで言えば一夜眠った程の感覚でしかない間に、世界は実に八千年もの時を経過させていました。


   ***


 私は、世界を渡り歩きました。
 どこを訪れても、土地は自然に潤っています。建物や機械といった人工物も、全てそれに融和するように作られていました。
 その完全な形で保たれた環境は、しかし見事であればある程、私の中の空虚を膨らませていきます。
 再生した世界を見聞する私の旅は、いつしか失われた『ヒトのココロ』を探すものへと、変わっていました。
 でも息を吹き返したこの地球を美しいと感じ、歓べるココロを持つヒトは、もうどこにもいないようです。
 ――これが、コーレンの望んだ世界なのでしょうか。
 彼は計画に携わっていたのですから、最終的な世界のこの姿も、知っていたと考えられます。
 しかし私にココロを与え、それを持つ事の歓びを教えてくれた彼が、ヒトからそれを消失させる計画に賛同していたとは、私にはどうしても思えませんでした。
 その思考により、私の中にひとつの説が立ち上がりました。
 私を地下に保存したのは、コーレンだったのではないかと。
 私の中央処理装置は感覚と運動の機能を司る箇所こそ壊れてしまっていましたが、私が『私』たる所以の『ココロ』と『記憶』を司る箇所は、コーレンに同意し彼の手で一切の機能を停止される時まで、正常に動作していました。現在、私が全ての機能を問題なく働かせる事ができているのは、機能停止後に中央処理装置の修復がなされたからなのでしょうが、それについてはコーレンの手によるものと断言できます。『ココロ』と『記憶』に関与する部分を損なわないようにその装置を修復できる者があったとすれば、それは『ココロ』のプログラムを開発した、コーレンでしか有り得ないのですから。こうして今、機能停止以前のココロの状態と記憶を継続させている事が、その証でした。
 では、修復に成功したにも関わらず彼が私を起動させなかったのは何故なのか。
 それは長く解けずにいた疑問ですが、私の保存も彼が行なった事だとするならば、修復は遠い未来に私が何らかの形で起動される事を見込み施されたもの、と仮定できます。
 ――コーレンは、自分の寿命が及ばぬ遠い未来の世界に、私を送り込んだ――。
 そこに込められた意味に、私は気がつきました。
 ――星に息吹を。ヒトに歓びを――。
 彼は、地球はもとより、ヒトの事も愛していました。枯れかけた地球の再生と同時に、朽ちかけたヒトのココロの再生も願っていた事を、私は知っています。
 でも、先に待つのはヒトからココロが失われた世界。
 ココロの全否定が理念となった計画に携わったのには、それを拒否できない何らかの事情があったからなのでしょう。その中で、彼は独自に開発した『ココロ』のプログラムを人工生命体である私にインストールし、その私を、計画が完了しているであろう未来に、送ったのです。
 それらの事から、私は今ここにいる自分を、彼が未来に撒いた『ココロの種』なのだと、結論づけました。



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