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 リカレント・プログラム   ※recurrent … 回帰する、循環する


 私はヒト型の人工生命体で、固有に付けられた名を『タイム』と言います。
 コーレンという科学者が、私の父です。
 人工生命体は、それそのものの実用化が目的で開発されたのではありません。ヒトに機械を組み込む研究の上で、ヒトという生体器官に互換させる事を前提に製作された機械の集積、でしかないのです。
 最終的にヒトに組み込まれる事が目的であり、機械制御の主要はヒトの脳が担う事になるわけですが、私達にも仮に組み込まれた電子頭脳――ヒトの脳をモデルとした中央処理装置があります。とはいっても、それが搭載しているのは機械活動の維持継続に不可欠な機能だけで、ヒトのように情緒や高次の精神活動を司る機能は持ちません。
 ただ一体の例外を除いては。
 その唯一の例外的人工生命体が、私でした。


 前述の通り、私は実用されるために製作されたものではありません。コーレンに付き従い、彼が研究開発の状況を報告する際にその身体構造と機能をサンプルとして提示する事が、私に与えられた主な仕事です。
 そんな私とコーレンとの間には、ひとつの約束事がありました。
 ――お前が『ココロ』を持っている事は、私とお前だけの秘密だよ。
 私の中央処理装置にインストールされた『ココロ』という機能は、コーレンがかねてより研究し、独自に開発したものです。コーレンが言うには、それは彼が技術者として現在携わっている、世界規模で推進されている計画の理念に反するために、開発した事実は誰にも明かせない、明かしてはいけないものなのだそうです。
 プログラムに従う機械は、基本的に二進数により動作の処理を行ないます。0と1。オンとオフ。有と無。そうした信号が、私達を制御する全てです。
 それを踏まえた上で、コーレンはヒトの『ココロ』を『0と1の間にある領野』であると私に言いました。
 そこは至極曖昧で複雑怪奇。常時流動して、自身ですら全てを解析し記号化する事は叶わない、無限の宇宙なのだと。
 世にいる全てのヒトが、その『ココロ』を持っているのです。すごい事だと思いませんか? それを聞いた時の私の衝撃といえば、ついその『無数の無限』を解析にかけてしまい、高負荷で途端にフリーズしてひっくり返った程です。
『ココロ』を機能として持つ私にもその領野がある事になりますが、自身ですら解析し記号化する事は叶わない、とコーレンが言った通りそれは明晰なものではなく、最初のうちの私は、有るようで無いような慣れない信号の扱いに戸惑い、またその『戸惑い』も『ココロ』の働きによるものだと認知して更に戸惑う、という難儀なループに陥る事もしばしばでした。


『人工生命体』としてサンプルの仕事をしている私ですが、活動を共にするコーレンは、私達だけしかいない場所においては私を『ヒト』として扱いました。
 ヒトの関係に置き換えれば、私達は『親子』なのだと思います。
 コーレンは父として子である私の手を引き、度々世界の姿を見せてくれました。
 ヒトの行いにより均衡の崩壊と汚染が無惨に進んだ、世界の姿を。
 生物にとって至上の恵みであったはずの太陽は、有害な光線を撒き散らして浴びる者を容赦なく痛めつけます。
 宇宙から見たヒトが地球を宝石にたとえるほど美しかったという青の海は、その輝きを失って久しく、今は深く負った傷を腫らすようにかさを増して刻々と陸地を呑んでいく、脅威でしかありません。
 緑の衣は干からびて砂と崩れ、剥き出しの、老化した肌のように弾性を失ってひび割れた地表に積もります。生物の姿は絶え、今そこを駆けるのは、しわがれた風ばかりです。
 世界をそんな状態に陥らせて尚、ヒトは争いを続けていました。
 限りある資源を貪欲にすすり、残り僅かなそれを奪い合います。相容れない思想を摘み取って根絶やそうとします。
 兵器の残骸と生命の死骸で世界を穢し一切を冒とくし続けている現状を、コーレンは嘆き悲しんでいました。
 ただ彼は、そんな汚れた部分だけを私に見せる事はしません。
 枯れかけた世界に開いた花の一輪に、再生という地球自身が持つ希望の力と、生命を美しいと感じられる『ココロ』がある事の歓びも、彼は同時に、教えてくれたのです。


 世に在る全てのものには始まりと終わりがあり、永久に続くものはないのだそうです。
 ヒトにおいて『寿命』と呼ばれるそれは人工生命体である私にも存在する、とコーレンは私に告げました。
 私の『ココロ』を収めて機能させている中央処理装置は、ヒトでは性格という『内的な個性』を司る脳にあたり、それが壊れる事は、『私』という『内的な個性』がなくなる事を意味します。身体はいくらでも交換が利きますが、中央処理装置まで交換されてしまったら、それはもはや『私』ではないのです。
 私はそのように理解した自分の終わり――『死』というものを、大変怖ろしく感じました。万物にそれを宿命づける世のことわりを、畏れました。
 でもその畏怖は、生を豊かに営む上で大切なものである、とコーレンは言います。
 ――限りがあるから、その中で自分がどう動くべきなのかを、考える事ができるんだよ。
 地球という天体の歴史から見れば、私達の存在する時間は瞬きにすら遠く及ばない、実に儚いものです。個として保有する力も矮小で、世界に与えられる影響は微々たるもの。
 時間にも出来る事にも限りがある事を痛いほど承知して、コーレンは今日も仕事の合間をみては、ひっそりと土に草花の種を撒きます。
 ――星に息吹を。ヒトに歓びを。
 種は汚れた土で腐れてしまうものがほとんどでしたが、それでも彼は撒き続けます。
 私はコーレンの傍らで、芽吹いた草に生命の歓喜を見て、腐れてしまった種に衰微の悲哀を見ました。
 コーレンは今の自分にできる行動で、そのココロを地球にもヒトにも、示しているのでしょう。
 他の誰かに届いたかどうかは分かりませんが、少なくとも私には、彼のココロが届いていました。
 私も彼と一緒に、種を撒きます。
 星へ。ヒトへ。
 儚く小さな私が『ココロ』という無限の宇宙で生んだ、『愛』を伝えるために。


   ***


 私の『死』は、私を構成する機械の耐久性から算出していた予測時期よりも、はるかに早く訪れました。
 私の両目は高い解像度をもって世界の姿を綿密に写しますが、中央処理装置はもうそれを認識する事ができません。耳のマイクロホンが拾う音も、信号への変換処理が正常に行なわれないために、質を劣化させ、大変遠いものに感じられます。
 そのように感覚が減失していき、身体を運動させる信号の出力も不可となって、今や私は横たわるばかりの人形です。
 でも、最期の時は安らかに迎えられました。
 感覚機能が著しく鈍麻しても、指先は微かに温もりを感知し、彼がそこにいる事を私に伝えます。
 彼の最終確認に、私は同意しました。
 温もりに、滴が混ざります。
 愛を与えてくれるヒトがいて、愛を捧げられるヒトがいた事に、深謝しました。
 そうして、私は一切の機能を停止したのです。



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