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   或る旅人の手記1・対比   画像で表示


 歩いている限り、行き交う人々を目にし続ける。接点のない者を流し見ては忘れるを繰り返すばかりの道だが、ただ一度すれ違った、あの老人だけはおそらく一生忘れる事が出来ない。暗い淵のごとく落ち窪んだ目。そこからのぞいた眼の光は並々ならない執着に満ちていて、それが、僕の脳裏に焼き付いたからだ。
 その老人に関して、刹那垣間見た以上の事は何も分からない。曲がった痩躯に白髭、また杖を固く握る歩みからして、相当の高齢ではあっただろう。その明白な衰えは、人が行き着く先で必ず口を開ける運命を想起させた。
 避けられないがために、人は『死』というそれに常時つきまとわれながら過ごしている。そして死を強く意識する時、より強く『生』についてを意識する。衰えに対比して一層印象づけられた、あの眼光のような鮮烈さで。
 自らの死を突き詰める事は、自らの生を突き詰める事だともいう。もしも死を奪われたなら、人は死なずとも生きられないものなのかもしれないと思う。生死の概念の狭間こそ、自己をはじめとした『存在』を確かめられる唯一の場であると感じてやまない。


歌詞集「ことのおと」 旅愁の章より
wanderer
万感吟遊
コンドル
満つる夜半の歌
そよぐ真昼の歌
蒼穹図



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