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 天瀬のクラスのホームルーム活動が長引いていたので俺と龍彦は先に下校し、小波字にあるケーキ屋モフモグへと足を運んだ。天瀬と、彼女を待って居残った梶居とは約束通りに店の駐輪場で落ち合い、四人揃っての入店。
 そうしてパステルカラーのカフェスペースで今、俺達と天瀬達は向かい合わせて座っている。それぞれの前には運ばれて来たばかりのケーキとティーカップ。ショーケースでケーキを選んでいる時点から既に瞳をきらきらさせていた天瀬は、最終的に行き着いたケーキの王道、イチゴショートの最初の一口に落っこちそうな頬を押さえる。
「やっぱりここのショートケーキ、何回食べても美味しい!」
 彼女が美味しい物を食べている顔を正面で見られる幸せこそ、俺にとっては何にも勝る甘味であり心の栄養。その横の梶居もまた、糖分補給が叶って上機嫌だ。
「奢ってもらったものは一層格別でしょ。いいなー、私も孝史郎君にゴチになりたかった!」
 ミルフィーユとベイクドチーズケーキとガトーショコラがはみ出し気味に盛られている彼女の皿に視線を落とし、龍彦がぼそりと言う。
「気いつけないと財布ごと食われるぞ、孝史郎」
 そんな彼への梶居の応対は、やたら高慢だった。
「次はあんたが奢ってくれてもいいんだよ? それで私とお茶できるなんてお得過ぎじゃん」
 龍彦は自分のケーキをフォークで突っつき、より上から目線で返す。
「ほー、改めて俺と茶が飲みたいって話か? 俺のためにこのフルーツタルトくらい気合い入った手作り菓子を用意するってんなら、付き合ってやらんでもないぞ」
「なにそれ超えらっそう!」
「そりゃ自分を省みて言えっつーの!」
 噛みつき合う二人に困った笑いを浮かべつつ、天瀬と俺は話す。
「ごめんね孝史郎君、私が勝手に勘違いしてただけなのに、気を遣わせちゃって」
「いいんだ、俺が原因な事には違いないし。気分転換もしたかったとこだしな」
 胸のもやもやが晴れた彼女は、小春日和に相応しい表情を取り戻していた。
「ふふ、ありがと!」
 色艶の良い彼女の唇に、ケーキの上にあった大粒のイチゴが運ばれていく。……イチゴ。生クリームのような泡。ふわふわ生地のバスタオルを巻いた胸元の、イチゴ柄――。
 連想で呼び起こしてしまった彼女の湯浴み姿。ああ駄目だ、思い出してはいけない、思い出すほど記憶が強化されてまた天瀬をまともに見られなくなってしまう……!
 慌てて頭を振り、天瀬の薦めで選んだ彼女と同じショートケーキからイチゴをすくい上げて口に放り、早々に腹の底へ仕舞い込む。やや滑稽な挙動になってしまい龍彦と梶居には変な顔をされたが、天瀬は気にならなかったらしい。
「孝史郎君も、好きなものは取っておかずに先に食べちゃうタイプなんだね」
 ……実際は残したと間違われて食べる前に皿を下げられてしまうほど大事に取っておくタイプなのだけれど、ここは笑って合わせておくしかなかった。
 
 
 店を出て、表で解散の運びとなる。梶居が伸びをして冬の快晴に声を放る。
「はー満足した! これでテストまで頑張れそう!」
「楽しかったあ、また皆で来ようね」
 終始にこやかだった天瀬に、誘って良かったとしみじみ思い、頷く。
「うん、そうだな」
 ただ、皆で、ではなく、今度は二人で来たい――いや、きっと来よう。密かにそう決意する。
 別れの挨拶の最中、梶居が天瀬の袖をちょいと引っ張った。
「ねえ小夜子、あれ、小夜子んとこの猫じゃない?」
 梶居の指さす先には、カンツバキが咲く隣家の脇で毛繕いをしている一匹の猫。
「ほんとだ、アメリア!」
 名を呼ばれ、アメリアもこちらに気づく。天瀬の他に複数の人間から注目されている事に警戒し、姿勢を低くして様子を窺っていたが、不意にすっくと立ち上がり、足早にこちらへ寄って来た。
「ここまでお散歩? 今日はいつもより少し暖かくて歩きやす――」
 前屈みになって迎える天瀬のところへ真っ直ぐに向かう、かと思いきや、何故かアメリアは俺の方へと逸れた。甘えた声で一つ鳴き、尻尾を立てて俺の足に繰り返し身体を擦りつける。
「……孝史郎に懐いてんな」
 龍彦だけでなく、天瀬も不思議がる。
「前に会ってもらった時には、離れて見てるだけだったのに……。孝史郎君、いつの間にアメリアと仲良くなったの?」
 思い当たるのは、アメリアにコクミツと孝史郎の秘密がバレそうになった日の事。幸い、孝史郎が『天瀬とコクミツの共通の友達』と認識されるに留まり、バレずに済んだわけだが、その際、アメリアは孝史郎の方にきちんとご挨拶しなくちゃと言っていた。これがそうなのだろうと考える。
「一度、俺の話をしたからな――」
 考えながら考えなしに発したそれが、梶居と天瀬に疑問を抱かせてしまう。彼女等に見えない角度から龍彦に肘で小突かれ、はっとする。
「……話をした? 猫と?」
「えっ……ああいや、たまたま町なかで見かけたんで、単に話し掛けたってだけで……。俺と、仲良くしてくれって」
 焦って取り繕うと天瀬は素直に信じ、感心すると共に喜ぶ。
「すごい、通じたんだあ! 良かったねアメリア、孝史郎君と仲良くなれて。気の許せる人は多い方がいいもんね」
「ふうん……?」
 対して、梶居はまだ引っ掛かりを覚えている様子だった。俺は屈んでアメリアと鼻を突き合わせ、猫の挨拶を受ける仕草で彼女の視線から逃れる。
 不意に、天瀬がくすくす笑う。
「でも孝史郎君は、猫と話せても不思議じゃないよね。猫になれるんだし」
 さらりと飛び出した大変な発言。俺は凍りつく。
 ――この孝史郎の身体が猫にも変われる事を、既に天瀬に知られている――?
「い、一体いつ俺が、猫に――」 
「いつって、文化祭の演劇。長靴を履いた猫になり切ってたでしょ?」
「へ……?」
 動じていて、意味を飲み込むのにやや時間を要した。その間に天瀬は俺から離れたアメリアを抱き上げ、希望を述べる。
「上演一回だけなんて勿体なかったよね。出来ればまた会いたいなあ、猫の孝史郎君に」
 強張りが解け、笑いが漏れる。
「……あはは、それの事か……」
 いつ俺が猫になれる事を知ったのか、と危うく聞いてしまうところだった。舌のもつれが幸いした。そもそも、銭湯の女湯にてタオル一枚の格好で洗った猫が俺であると知っていたなら、彼女は俺を前にしてこんなにも穏やかでいるはずがないのだ。
 梶居がにまりとし、俺を見つつ天瀬に聞こえよがしな耳打ちをする。
「猫耳カチューシャと猫尻尾、取ってあるから小夜子にあげよっか? それ使えばいつでも猫の孝史郎に会えるっしょ」
「カジーちゃんほんと? いいの?」
 冗談なんだか本気なんだか分からない彼女等に、ほとほと参る。
「勘弁してくれよ……あれは文化祭ムードの助けがあったからどうにかやり通せただけで、素であの格好をするなんて無理だぞ」
 龍彦も俺を横目に含み笑う。
「イベントの雰囲気があればいいのか。ならイベントごと機会を作っちまうか、この三人で」
「おい龍彦! お前またいい加減な事を」
 制する俺を遮る梶居。
「賛成っ! いい加減じゃないよ孝史郎君、たっつんの目が初めて真っ直ぐに見えたもん。実は二枚目かもって錯覚するくらい」
「は、ようやく気づいたか。錯覚じゃねえよ、真実だ真実」
 かっこつけて前髪を?き上げる龍彦に、梶居は途端に冷めた目をする。
「前言撤回。すぐ調子づくとこやっぱ三枚目キャラ」
 彼等のしょうもない会話を楽しそうに聞いている天瀬をちらりと見、俺は前途を思う。
 去年のクリスマスにここの店で梶居にも隠した真の秘密――孝史郎とコクミツが同一の存在である事は、天瀬に知られた瞬間、孝史郎の青春が木っ端微塵になる爆弾。それを抱えながら彼女との距離を縮めるのはやはり至難だと、皆に合わせて笑顔を作りながら一人、憂うのだった。



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