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 龍彦の家で考史郎になった俺は、母さんからお使いを頼まれている事を彼に話し、それに付き合いがてらもう一度ムサシを探さないかと持ちかけた。どれほど疲れていようと――いやむしろ疲れるほど、悪いほうにばかり考えがいってしまうのだろう。そんな居ても立っても居られない様子の龍彦を、やはり放ってはおけなかった。お使いの品はコロッケ。母さんの仕事の帰りが遅くなる日は夕飯のおかずを何かしら一品頼まれ、こうして俺が買いに出る。最寄りの店でもよかったのだが、俺は母さんが帰宅する時間までに戻れる中でいちばん遠いと思われる、島中商店街の店を選んだ。
 そんなこんなでアーケードの下、橙色のひさしに『有賀精肉店』と書かれた店にやって来た。龍彦は少しでも周辺を見て回りたいと言うので、一旦そこで別れ、俺は一人で入店する。
「いらっしゃいませー。……あらま、考史郎君。久しぶり」
 挨拶と笑顔をくれたのは、ひさしと似た色の三角巾とエプロンをつけた女性。
「お久しぶりです。お使い頼まれて」
 彼女は俺より7つ年上の、この店の娘である有賀千歳(ありが・ちとせ)さん。俺は小さい頃、親と商店街へ来るとよくこの店に寄り、レジ横に置かれている小箱の魚肉ソーセージを買ってもらっていた。この人はその時分から俺を見知っているのだ。
 店側と客側とを隔てるガラスケースには、種類も切り方も多様な肉が陳列されている。俺は二つ並べ置かれているうち、揚げ物が寄せられた小さい保温ケースのほうから、牛肉コロッケを選んで注文した。
「考史郎君のお母さん、このところ忙しそうねえ。よくお仕事帰りに慌しく駆けてくるから」
 紙の袋に手早くコロッケを詰めつつ、千歳さんは話す。確かに、母さんは隣町の病院に電車通勤している都合で、帰りにこの駅前商店街で夕飯の買い物をしてくる事が多い。家の近くにも老舗スーパーがあって、俺は惣菜などの買い物を頼まれると大概そちらで済ませるため、この店に来るのは久しぶりになってしまったわけだけど。
「やっぱり俺も、晩のご飯くらい作れるようになるべきですよね……」
 俺の家が母子家庭である事も知っている千歳さんは、それに力強く賛同した。
「そうよお、んで、もっとうちにお肉買いに来てよ。馴染みの子に顔出してもらえるとやっぱり嬉しいし。今日はお久しぶりな子に二人も会えて良かったわ」
「二人?」
「うん。考史郎君と、食堂の息子さんの隆君ね。その子はほんとに、何年振りかなってくらい。ツンケンしちゃって全然買いに来なくなってたから――」
 食堂。隆。ツンケン。――そして肉屋。
「……それってもしかして、徳永って苗字の人で、鶏の肉を、買っていったとか……」
「あれ、隆君のこと知ってるんだ? そうそう、鶏のささみ二切れでいいって」
 先ほどユキチが、徳永先輩から肉を貰ったと話していた。とすると、その肉はここで先輩自ら買ったものだったのか。そう思い巡らしたところで、些細な疑問が湧いた。先輩の家は食堂を営んでいる。食堂用の食材の仕入れはまとめてするものだろうし、家族の食事用だったとしても、鶏のささみ二切れなんて、兄弟が多い先輩宅ではどう使うにしても少ない気がする。何年振りかにわざわざ買いに行った、その少ないものをユキチに分け与えた理由もまた、よく分からなかった。
 
 
 店の前で龍彦と落ち合った後、明るさを保つ商店街から宵闇迫る表へと出た。駐輪場で、彼は改めて疑問を口にする。
「……なんで、誰もムサシを見てないんだろ。猫達のほうも、一匹が見たきりだっけか」
「俺も、それがどうにも不思議で」
 龍彦と一緒に並べて停めておいた、自分の自転車のかごにコロッケの包みを収め、俺も再び考える。そして駐輪場を出、いざ自転車に乗ろうとした時だった。辺りに目を配っていた龍彦が不意に、あれ、と呟いて立ち止まった。
「どうした?」
 彼の見ているほうへ目をやる。そこは駐輪場に面した駅前交番だが、中で警察官と話をしているらしいその人物を認めた途端、俺はあんぐりとしてしまった。
「え、考史郎――」
 考えるより先に、自転車を押したままそちらへと駆け出していた。駆ける足音が近づくのに気づいて、警察官とその少年は同時にこちらを向く。黒いジャケットの少年も俺を認めると、元より不機嫌そうな顔つきがより怪訝さを顕にした。
「考史郎かよ」
「徳永先輩」
 少し息を弾ませ、相も変わらずユキチが自分と同じ茶毛、と親しみを持っているという茶髪の彼の名を呼んだ後、はたと我に帰る。彼に対して抱いたばかりの疑問を解きたかったのか、はたまた交番という場所にいる彼が気に掛かったのか。ともかく俺は続ける言葉などまるで考えていなかった。
「うるせーな今日は補導されたわけじゃねえよ」
「……いえ、まだ何も言ってません」
「今日は、なんて自慢にならんぞ」
 即座に予測した俺の発言を先走って切り捨てた徳永先輩は、結果、後ろ暗さがあるらしい部分を俺と警察官の双方から突かれ、口を大層なへの字に曲げた。
「だから、ここ来んの嫌だったんだ。湿気た日はろくな事がねえ」
 やり辛そうにくしゃくしゃと頭を掻いて独りごちる。
「君は、徳永君と知り合い?」
 かねてより徳永先輩を知っている様子の警察官――ここの交番に勤務する三矢(みつや)巡査が、興味深げに俺に問う。
「はい、そうです。高校の後輩で――」
「あーもういいんだよこいつの事は! 俺の話が先だろ!」
 先輩の話は、まだ本題に入れていないらしい。わかったわかった、と徳永先輩をなだめる三矢さんは、しかし後から来たもうひとり、龍彦を目にすると、またそちらに気を移した。
「ああ君、昼間の子だね。あれから見つかった?」
 俺がコクミツとしてムサシを探している間に、どうやら龍彦はこの交番へ立ち寄り、迷い犬としてムサシの事を届け出たようだ。
「ああ、どうも。それが……まだ」
「うん、そうか」
 首を横に振る龍彦に、三矢さんは落胆して返す。
「何か失くしたのかよ」
 自分の話を遮られてますますいらつくかと思われた先輩は、意外にもそれに反し、龍彦の話に食いついた。
「あ、ええと」
「先輩のほうは、何の用事でここへ?」
 狭い交番の口でごちゃごちゃ入り混じる案件と、交差する質問。
「犬を逃がしてしまって」
「犬を拾っちまって」
 答えが重なり、思いがけずまとまる。すぐにはその展開を把握できず、場の全員がきょとんとして、しばし互いに顔を見合わせていた。



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